ダウン症胎児に生きる権利を

米コラムニスト マーク・ティーセン

広がる社会の理解
中絶を禁止する州も

マーク・ティーセン

 カレン・ガフニーさんの母親が、カレンさんがダウン症を持って生まれてくることを知らされた時、医師は、カレンさんはおそらく自分の靴の紐(ひも)を結ぶこともできないと言った。ところが、カレンさんがプレゼンイベントTEDxで行った感動的な講演で述べたように、カレンさんは、オープンウォータースイミング選手となり、リレーで英仏海峡を横断し、「アルカトラズ島脱出」トライアスロンのスイムパートを完泳した。

 そのカレンさんが今、恐れていることがある。ダウン症を「より短い時間で検査する新たな方法」を見つけ出すための競争で成果が出ることだ。この方法が見つかれば、胎内で命を奪われるダウン症の子供が増えることになるからだ。

 カレンさんの恐れには、しっかりした根拠がある。CBSニュースは最近、アイスランドで間もなくダウン症が「消滅」すると報じた。だがこれは、残念ながら、大きな医学的進展があったという意味ではない。ダウン症を消滅させるということではなく、ダウン症の子供を消滅させるということだった。アイスランドでのダウン症の胎児の中絶率はほぼ100%で、世界一高い。デンマークが少し低く98%。米国は67%。カレンさんは、米国での中絶率が、欧州の水準にすぐに近づくことを恐れている。

 「私たちの命を救って」―カレンさんはそう叫んだ。

◇99%が幸福と回答

 悲しいことに、ダウン症の人々は社会の重荷でしかないと考える人々は常にいる。プリンストン大学のロバート・ジョージ教授は最近、ツイッターに衝撃的な動画を投稿した。オランダ国立公衆衛生研究所の官僚が、黒板に書かれたダウン症の男性を指して、「普通」の人と比べて、社会にとってはるかに「負担が大きい」と言っている動画だ。教授は、「ヒトラーの支配に苦しみ、果敢に抵抗を試みたこともあったオランダ人は、『最終的解決』が、障害者を人間扱いせず、優生学を根拠に殺害することから始まったことを忘れてしまったのだろうか」と疑問を呈した。

 ダウン症の人々の人間性を認めてほしいと声を上げる人々はこのところ増えている。フランク・スティーブンスさんは最近、下院歳出委員会で議員らに「私はダウン症で、私にも生きる価値がある」と訴えた。欧州でのダウン症の胎児の中絶率を挙げながら、「この注目すべき『最終的解決』を推進する人々は、私のような人間は存在すべきでないと言っていることを私は知っている」と指摘したうえで、「アイスランドやデンマークではなく、アメリカであってほしい。…殲滅(せんめつ)するのでなく、受け入れてほしい」と訴えた。

 この訴えはゆっくりだが、伝わっている。先月、ベビーフードメーカーのガーバーは、ダウン症の少年ルーカス・ウォーレン君を2018年の「ガーバー・スポークスベイビー」に任命した。その「輝く笑顔」が支持され、14万人の応募者の中から選出された。さすがガーバーだ。ルーカス君のこの輝く笑顔は、驚くべきことではない。ハーバード大学の11年の研究で、苦労の多い人生を送るより、ダウン症の人々の方が幸福度は高いことが分かっている。なんと99%が幸福と答え、97%が自分のことを好きと答え、96%は自分の外見が好きだと答えている。研究者らは「全般的に、調査対象のダウン症候群患者の圧倒的多数が、幸せで充実した生活を送っていると言っている」と指摘した。

◇家族に大きな喜び

 ボストン小児病院の調査によると、ダウン症の子供たちは、家族の負担になるどころか、家族に大きな喜びをもたらしている。94%がダウン症のきょうだいを誇りに思い、88%がダウン症のきょうだいを持つ方がいいと答えている。きょうだいを交換できたらと考えるのはわずか4%、ダウン症の子供がいることを後悔しているという親は4%だ。研究者らは、「ダウン症候群の人々と接することは、その親、兄弟姉妹、ダウン症候群の人々のほとんどにとって有意義な経験になっている」と結論づけた。

 議員らも関心を示している。ワシントン・ポスト紙が報じたように、胎児のダウン症候群検査の結果を理由に、医師が中絶を行うことを禁止する法律を制定する州が増えている。インディアナ州、ノースダコタ州、ルイジアナ州、オハイオ州でこのような法律が成立し、オハイオ州の「ダウン症候群非差別法」は今月末に施行される。ユタ州では現在、同様の法律が議論されている。法案を提出したカリアン・リズンビー州下院議員(共和)は、「世界に対するユタのメッセージは、差別を容認しないことだ」と述べた。当然のことながら、中絶支持絶対主義者は、これらの法案の阻止を訴えている。インディアナ州では成功した。

 これほど周囲を楽しませる命が数多く失われることは、実に耐え難いことだ。カレンさんは言う。「すべての命は神からの賜物。それは私にとって、余分な染色体を持って生まれても、命が大切であることに変わりはないことを意味する」

(3月9日)