日米同盟の深化と韓国の立場

櫻田 淳東洋学園大学教授 櫻田 淳

戦略的に対日重視の米
「歴史」と安保協力の峻別を

 去る10月3日、日米両国政府は、外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2+2)を開いた。その結果として、日米同盟の下での安全保障協力の有り様を定めた「日米防衛協力のための指針」を2014年末までに見直すことが合意された他に、サイバー空間や宇宙における協力、南西諸島における施設の共同使用に係る検討の進展が確認された。

 ただし、特記すべきは、国家安全保障会議(NSC)の設置や国家安全保障戦略策定の準備、集団的自衛権行使容認を含む安全保障法制の整備、防衛予算の増額といった安倍晋三内閣下の諸々の政策方針に対して、米国政府から明確な支持が表明されたことである。このことは、日米同盟の「実質性」を決定的に担保するものとなろう。

 この日米両国の安全保障上の「提携」の加速は、米国の他の同盟国からは歓迎されている。たとえば、ジュリー・ビショップ(オーストラリア外相)は、訪日中、集団的自衛権行使容認に向けた憲法解釈変更について、「その方向性を支持する」と述べた上で、集団的自衛権に絡む議論についても、「段階を踏んでおり歓迎する」と前向きに評価した。ビショップは、集団的自衛権を行使できるようになった日本は、世界各地での活動で「主要な役割を果たせるようになる」と期待を表明したのである。

 また、ウィリアム・ヘイグ(英国外相)は、集団的自衛権行使容認や国家安全保障会議設置といった政策志向に関して、「歓迎する」と語った。安倍内閣下の安全保障政策志向には、米国だけではなく英豪両国からも、「ゴー・サイン」が出されているのである。

 反面、英豪両国と同様、米国の同盟国としての立場を持つはずの韓国は、対照的な反応を示している。米国における朝鮮半島認識の一端を垣間見せているのが、マシュー・B・リッジウェイ(朝鮮戦争当時、米国陸軍大将)が著した『朝鮮戦争』という名の回顧録である。そもそも、朝鮮戦争以前、米国にとっての朝鮮半島には、どのような位置付けが与えられたのか。リッジウェイによれば、朝鮮半島は、率直にいえば、「戦略上の価値を持たない場所」であったのである。

 そうした位置付けであった故に、日本の朝鮮半島統治が終わった「光復」以後の数年、米国は、南朝鮮に政治的にも、軍事的にも大した関与をしなかった。これは、朝鮮戦争勃発直前、ディーン・アチソン(当時、米国国務長官)が行った有名な「不後退防衛線」演説以前に、既に米国政府・軍部の共通認識となっていたのである。

 米国の朝鮮戦争への参戦は、共産主義の衣を着た中ソ両国という大陸勢力の影響が日本に波及するのを防ぐためであった。さらにいえば、韓国は、そのような「盾」としての役割を果たしている限り、相応の支援や尊重を日本や米国から受けることが期待できたのである。

 これは、少なくとも朝鮮戦争以来、「冷たい戦争」の時間を経て現在に至るまで、韓国の国際的な立場を貫く一つの「真理」であろう。実際、特に朴正煕執政期の韓国は、こうした韓国の立場から逃げなかった故に、1970年代の「漢江の奇跡」に象徴される経済発展を実現できた。「米国が対日同盟関係を対韓同盟関係よりも重視する」のは、歴史的な経緯の上でも地勢的な条件の上でも、当然のことなのである。

 然るに、現在、朴槿恵政権下の韓国は、中国の経済上の隆盛に幻惑される体裁で対中傾斜を加速させ、日本との「過去の経緯」に拘泥するあまりに無分別な対日批判を止められない故に、その「真理」に逆らっているといえる。この朴槿恵の姿勢は、早晩、特に米国の利害にも違背することになるであろう。

 事実、米国紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』(10月10日付、ウェブ版)には、カール・フリートホーフ(政治学者)が執筆した「自国の強さを過信し、対日関係で危険を冒す韓国」と題した記事が載った。記事中には、次のような記述がある。

 「もし韓国が日本との協働に際して合理的でも意欲的でもないと見られ始めれば、そして日本が韓国と協働する意向を明らかにした時には、そのことは、韓国の対米関係に一層の懸隔を生じさせることになるであろう」。

 フリートホーフが懸念しているように、朴槿恵麾下の韓国政府が、「歴史認識」に絡む対日批判と「安全保障」に絡む対日協力とを明確に峻別する知恵を働かせることができない限りは、米国が期待する日米韓3カ国の「提携」は進まない。韓国にとっては、日米両国を含む「自由世界」の信頼を失うことは、その「繁栄」の条件を失うことである。(敬称略)

(さくらだ・じゅん)