ロシア革命100周年に思う

NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之

久保田 信之知性・教養の土台を破壊
「現在」の根源は先人の創造力

 革命とは権力体制や組織構造の抜本的変革が比較的短期間のうちに行われることを意味することばであるから、人類の歴史の中では、技術革新の領域では農業革命や産業革命があり、社会変革では名誉革命をはじめフランス革命、さらには清朝を倒した辛亥革命ほか、大変革をもたらした「革命」があったことはご承知の通りだ。これらは、いずれも、従前の慣れ親しんできた流れを断ち切り未経験の新しい状態に突入するのであるがために、革命後、新しい秩序が形成されるまで、時には、激しい流血の惨事が発生したり、自ら否定した以上の強権力を迎え入れてしまい、新たな独裁者を生みだし、以前にもました残酷な惨状に苦しむ例を、この100年の間に、われわれは多く知らされてきた。

 変革を強く求める革新派と過去の体制を良しとする保守派の激しい対立は「革命」には付き物だが、この「ロシア革命」は、その規模が他に比べられないほどに広く深いものであった。17世紀以来、北欧から中央アジア、満州までを支配下に置いた「ロシア帝国・帝政ロシア」は、強大な軍事力と経済力を持ち世界各国に大きな影響を与えた世界屈指の「大帝国」であったことは事実だ。これがもろくも瓦解し、政治的な主義主張が根本的に異なる政治実態に変革したのであるから、国内外の混乱は想像を絶するものであった。

 100年経過した今日、ロシア革命史の「残酷物語」を跡付けるだけでなく、権力の分散をもたらす革命が、革命以前にも増して大きく深刻な混乱を国家・社会にもたらしたことを、われわれは考えてみたいのだ。外敵と戦い祖国の存続を守るはずの軍隊が、過激な変化には反対する同胞に襲い掛かり容赦なく一般住民を標的にした、あの「血の日曜日」のような悲惨な状況は、世界各地に受け継がれたのではないか。

 「二月革命」から「四月テーゼ」の提案に始まり「七月事件」「十月革命」と大規模な争いを繰り返し、最終的にレーニンが率いる「ボルシェヴィキ」とその指導下の労働者、兵士が結集して「ソビエト」を成立させ革命は成就したのだ。しかし、理想の実現を強く望んだ権力欲が強いレーニンは、革命の実質的担い手であった農民層が支持した社会革命党を抹殺するために議会を武力を持って解散してしまったのだ。そればかりではない。ついには1918年に、ボルシェヴィキを解散して「ロシア共産党」と改名し、この共産党以外の政党を禁止するといった独裁体制を確立したのだ。

 24年、レーニンの死後、政権の座に就いたスターリンは、盟友・先輩のトロツキーと激しく対立し、残酷な暴力を駆使して、対立者を排除・粛清して、共産党の主導権を手中に収めた。スターリンこそ20世紀を翻弄(ほんろう)し尽くした「ロシア革命の申し子」であったことは周知の事実であろう。

 世界各国では、「ロシア革命」を模してか、権力を掌握するといった我欲のために、祖国を二分し、軍隊を私物化し、同胞同士が殺し合うという悲惨で、残酷な「革命」が今日に至るまで、後を絶たない。「歴史は汚らわしい」と豪語した思想家がいた。多くの先人が築き受け継いできた歴史を否定し「ゼロからの出発」を称賛する革命論は、知性・教養の土台を破壊する野蛮な行為である。

 「ロシア革命」によって否定されたのだが、旧弊を打破しロシアの近代化と発展に大きく貢献しバルト海への出口を確保したのはピヨートル大帝であった。学識が深く啓蒙君主を自任し、自由経済の促進、宗教的寛容、教育・医療施設の建設、出版文芸の振興その他に大きく貢献したのがエカチェリーナ2世であった。ロシアを築き上げた数多くの先人の創造力こそが、ロシアを象徴する芸術や建造物を生んだのだ。革命の指導者が残した文化遺産があるであろうか。

 文化・文明論を基盤において歴史を見る者としては、1917年を帝政ロシア終焉(しゅうえん)の始まりと位置付けて「非人道的で暗黒な封建時代からの解放」、あるいは「皆が平等に暮らせる社会主義社会の建設」といった安直なユートピア論に踊らされることなく、さらには、「社会の発展は過去を否定し乗り越えるところにある」との安直な弁証法にも与(くみ)するものではない。否定し破壊することによって「汚らわしい歴史を払拭(ふっしょく)できる」とする粗雑な左翼思想にも、逆に、時間の経過を停止させ、ひたすら過去を賛美する単なる尚古思想にも不安を感ぜざるを得ない。いずれも、歴史を背負い未来へと進む「現在」の重視を忘れている。

 1917年以前のロシア史を形成し、維持し発展させた先人の努力とその心を、温かい目で見直してみることによって、初めて現在のわれわれの知性、教養が豊かになるのだ。先人の逞(たくま)しい創造力こそが「現在」をあらしめた根源である。その形式や作品は、その時代特有の諸条件に支配されたものであろうが、過去の遺物の中に生きている先人の心をわが心にすることによって、過去と連続し、未来へと繋(つな)がる「現在」なのだ。ある期間だけを、ある価値観にのみに立脚して固定化して、切り取り、編修するような愚かで惨めな過ちが「革命」のエネルギーなのだ。知性・教養を育む「豊かで謙虚な歴史認識」を持ちたいものだ。

(くぼた・のぶゆき)