露大統領府に知日派の長官
対日外交のキーマンに
達者な日本語、有能な官僚
プーチン・ロシア大統領(63)は8月12日、大統領府長官セルゲイ・イワノフ氏(63)を更迭し、副長官アントン・ワイノ氏(44)を昇格させる人事を断行した。プーチン大統領と同じ、サンクトペテルブルク大学卒業で、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)出身のイワノフ前長官は、大統領の側近中の側近で、2000年5月のプーチン政権発足以来、安全保障会議書記、(初の文民)国防相、副首相、第1副首相などの要職にあって、いわゆる「シロビキ」人脈の筆頭として、プーチン、メドベージェフ政権を支えてきた。
今回の大統領府長官人事は日露関係には無関係とみられているが、イワノフ氏の推薦で昇格したワイノ氏の新長官就任で、ロシアの対日政策に変化が表れるのかどうかに注目が集まっている。というのも、ワイノ氏はクレムリンの要人の中で数少ない「知日派」の一人だからだ。名字からして、ロシアではなじみが薄い。今は、北大西洋条約機構(NATO)の積極的な東方拡大との絡みで、ロシアとの関係が余りよくないバルト3国(04年そろってNATOに加盟)の一つ旧ソ連エストニア共和国の首都タリン出身。つまりエストニア系である。
アントン・ワイノ氏の祖父はブレジネフ時代からゴルバチョフ政権までエストニア共産党第1書記(1978~88年)を務めたカール・ワイノで、父親エドワルド氏はソ連時代に乗用車「ジグリ」(のちの「ラーダ」)を生産してきた大手自動車会社「アフトバス」の在米支社長を経て、2009年以降、現在も同社対外担当副社長の重責にあり、ロシア連邦商工会議所キューバ・ロシア・ビジネス会議議長も務めている。
1972年2月17日生まれのワイノ新長官は、ロシアの外交官を多数輩出してきたモスクワ国際関係大学(MGIMO)国際関係学部を96年に卒業後、外務省に入り、すぐに東京の駐日ロシア大使館に転勤。2001年まで約5年間在勤して本省に戻り、第2アジア局で働いた後、02年ロシア大統領府儀典局に移り、副局長、第1副局長にまで昇格。さらに、プーチン氏が首相になる(08年5月)前の07年10月から内閣官房副長官、首相府儀典局長兼内閣官房副長官、連邦大臣兼内閣官房長官を歴任し、プーチン氏が大統領に再任した直後の12年5月、大統領府副長官に任命された。長官就任と同時に、ロシア連邦安全保障会議常任メンバーにも就く。当然ながら日本語が達者で、英語もこなせるという。既婚で、一人息子がいる。
ワイノ氏の略歴を見る限り、政治歴の背景や性格が前任者たちと全く異なる。対外的に強硬派とみられたイワノフ前長官との比較で、ロシア紙「ノーバヤ・ガゼータ」は、「彼は効率を追求するマネジャーであり、陰謀を避ける穏やかな官僚だ。彼の登場で(ロシアの)攻撃レベルは低下するだろう」と解説した。「ベドモスチ」紙は、「(アントン・ワイノ氏は)ソ連時代の党幹部の血を引き、個人的にはプーチン氏に忠実な人物」と評した。また、日露首脳会談の準備でワイノ氏と交渉した日本の外交官の一人は「日本語も達者で折り目正しく、まじめに仕事に取り組んでいた」との印象を持ったという。
元クレムリンのアドバイザーだったグレプ・パブロフスキー氏は「ワイノ氏の長官任命は悪くない人事だ。彼は政治家ではない」と述べ、政治評論家のアッバス・ガリャモフ氏は「ワイノ氏はイワノフ氏に比べると、タカ派ではない。優れたマネジャーとしての評判が高い」とコメントした。
「これは良い人事だ。大統領府の仕事は効果的、適切な方法で進められるだろう。ワイノ氏は政府官僚の代表たちと良い関係にあり、今後、問題は起きないだろう。彼はイワノフ氏のような大統領府の政治的なトップにはならないと確信する。彼は、言葉の良い意味で、卓越した官僚だ。ワイノ氏自身既に、自分にとって肝心な目標は、大統領の指示や命令の完全な履行だと述べている。これこそ大統領府の仕事の質を高める主な要因となるだろう。ワイノ氏が特別の政治的な顔を持っていないとしても、それは彼が管理スタイルに欠けていることを意味しない。これはプラスの要因なのだ」
ドミトリー・オルロフ政治経済情報所長の解説である。
また、ドミトリー・ポリカノフ3者対談国際クラブ議長は言う。
「ワイノ氏は、権力を乱用したことは一度もなく、政治的なスキャンダルや陰の権力ゲームに巻き込まれていると指摘されたこともない。彼は異なるビジネスにも、大統領府内の権力グループにも等しく距離を置いている。彼はロシアのオリガルヒ(新興財閥)の一人セルゲイ・チェメゾフ氏(ロシアの防衛産業における最高の実力者で、ロシアのハイテク企業「ロステク」社長)との関係を噂されているが、関係があるとしても浅い。ワイノ氏はチェメゾフ氏の特別な利害のロビイストではない」
ワイノ氏は既述のように、日本勤務を終えてから儀典部門を歩んでおり、これまで対日政策の立案など日露関係に直接関与することはなかったようだが、プーチン大統領の年内訪日に向けて調整が進む中、今後、対日外交の新たなキーマンとなり得る新長官がどのような役割を果たすのか見守りたい。
(なかざわ・たかゆき)