ゴルバチョフ氏の新回想録

中澤 孝之日本対外文化協会理事 中澤 孝之

ウクライナ情勢を憂慮

ロシア人との繋がりを強調

 ノーベル平和賞受賞(1990年)のミハイル・ゴルバチョフ氏(1931~)は、91年末のソ連解体直後に大統領職を辞した。その後、設立した「ゴルバチョフ財団」を基盤にして執筆や講演をこなしてきた。国際「緑の十字」会長として国際環境保護活動も積極的に展開、近年は病気がちながら各国を飛び回っている。

 ゴルバチョフ氏は昨年秋、また新しい本をモスクワで出版した。タイトルは「クレムリンを去ったあと」。ソ連のトップから野に下ったこの約4半世紀を回顧したハードカバーの回想録である。同書の「はしがき」をゴルバチョフ氏は、自身の突然の死亡報道の紹介から始めている。2013年8月8日、ロシアの通信社「リア・ノーボスチ」が流した。ネットでの配信9分後に、記事は取り消されたそうだ。同書の中から知られざる興味あるエピソードを紹介したい。

 数年前、ハーバード大学を訪れた際、学長主催のレセプションで、一人の人物がゴルバチョフ氏に近づいてきた。ロシア革命の研究で著名な歴史学者で、ハーバード大学名誉教授のリチャード・パイプス氏(1923~)だった。パイプス教授は知る人ぞ知る、ソ連批判の急先鋒タカ派の論客で、ポーランド系ユダヤ人。レーガン政権時代、国家安全保障会議(NSC)ソ連・東欧部長を務めた対ソ政策ブレーンだった。ゴルバチョフ氏は書いている。

 ――彼は言った。「大統領閣下。私はあなたに謝らねばなりません。1987年、あなたがワシントンを訪れた際に、ホワイトハウスのレセプションでお会いした。その時、あなたはご自分の本『ペレストロイカと新思考』を読んだかと私に尋ねられた。私は、読みましたと答えた。すると、あなたは私に感想を聞かれた。私は率直に答えました。大した印象を受けませんでした、と。実際、私には、そこに書かれた考えに、大胆さや急進さが乏しいと思えました。しかし、最近、私はエカチェリーナ2世とドゥニ・ディドロとの交換文書を読みました。そして、彼女の次の言葉に注目しました。『ディドロ様、あなたは大きな変化を提案しておられます。しかし、あなたはそれを紙の上に書いている。紙は痛くもかゆくもないのです。私はと言えば、人々の肌の上に書かねばなりません。肌はとても敏感なのです』。というわけで、今、私はあなたをもっとよく理解しています」と。そうだ。どの国でも改革を、紋切り型で、「ワシントンの保守連中」の忠告に従って、あるいは国際通貨基金(IMF)の指令で、進めるべきではない。このことは、ソ連モデルを他国に導入しようとした試みを想起させる。外からの助言者たちが、改革を進める国の人々の歴史的に積み重ねられた障害や独自の文化、メンタリティーを理解することはめったにないのである――

 パイプス教授は、ペレストロイカなどゴルバチョフ氏の革命的な諸政策が単に紙の上だけのものではなく、人々の肌に触れる、痛痒(つうよう)の伴うものであったことを理解したのである。

 ウクライナ危機についてゴルバチョフ氏は「あとがき」で触れている。ロシアとウクライナの関係悪化に心を痛めている様子がうかがえる。昨年1月23日に、ゴルバチョフ氏はプーチン、オバマ両大統領に対し、武力衝突と流血の惨事を直ちに回避するため、交渉のイニシアチブをとるように訴える次のような書簡を送った。

 ――あなたがたはこの目的を達成することができる。対立する当事者たちは交渉のテーブルに着かねばならない。重要なのは、より危険なエスカレーションを止めることだ。キエフにおける事態の推移が、ウクライナ自身とその周辺国のみならず、欧州、そして世界全体を脅かしていることは決して看過できない。人々の不安は理解できる。ロシアとウクライナは何世紀にもわたり極めて近かった。問題は歴史的な繋がりに限らない。人々の間には、緊密な親戚同士の繋(つな)がりがあるのだ。

 その例は卑近にある。私の家では、母がウクライナ人で、父はロシア人だった。亡くなった私の妻はウクライナ人である。こうした例は無数にある。我々両国民の血の繋がりについては、有りのままに言うことができる。ウクライナ人同士で戦わせることを認めるべきでない。それは恐ろしく馬鹿げたことだ。しかし、事態はどうやら、両国の権威ある代表の助けもなく、協力もなく、破滅に向かうかのような様相を呈している。

 ウラジーミル・ウラジーミロビッチ(プーチン)、およびミスター・オバマ。あなたがたにお願いしたい。ウクライナが平和に発展する道に戻るのを助けるため、その可能性を見つけ、決定的な行動に移ることを。私はあなたがたに、強く期待しています――

 ゴルバチョフ氏は言う。「私の書簡は文字通り、『心の叫び』であった。しかし、それは無視された。事態は相変わらずの進展を見せた。ひとりでに、雪崩をうって。書簡で私が書いた『恐ろしく馬鹿げたこと』が現実となった」

 ロシア人とウクライナ人の血縁関係の例は枚挙にいとまがない。著名人ではノーベル文学賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン。母親はウクライナ人であった。最近病死した元ロシア首相エフゲニー・プリマコフ氏(享年85歳)はキエフ生まれ。父親はウクライナ人で、母親はユダヤ人だった。

(なかざわ・たかゆき)