ロシアの軍事ドクトリン修正
ウクライナ問題に備え
「新たな脅威」説く安保会議
冷戦時代、ソ連には安全保障という概念はなく、国防分野における最高の文書として「軍事ドクトリン」があり、これからの戦争の目的と性格、国家・軍の戦争準備、戦争遂行の方法などを状況に応じ定めていた。
ロシアになって安全保障という概念を採り入れ、「安全保障構想」(メドベージェフ時代に「安全保障戦略」に変更)を定め、これに基づき軍事ドクトリンをはじめ対外政策構想、海洋「ドクトリン」などを下位文書としてそれぞれの基本事項を定めている。
西側で軍事ドクトリン(教義)と言えば、一般的に戦術的な原則や規定、あるいは指揮官に対する作戦上の指針、規範などを指す。これとは対照的に、ソ連・ロシアの軍事ドクトリンは戦争遂行上のことだけではなく、戦争に関連する対外政策、経済の組織化(軍需産業も含む)の基本事項及び国家と住民の準備なども含む広範なものである。これに基づき軍事政策・軍事戦略が具体化される公的な文書である。
ソ連時代、国家の命運をかける国防の重要事項であるとの理由から軍事ドクトリンは秘密にされていた。ロシアになり、西側と同じ民主主義国になった。これを実践する意味からも、議論の末、公表に踏み切った。公表の目的は、ロシアの国防についての考えを広く世界に明らかにし、相互理解を深めて世界の平和的な環境づくりに貢献、国内では国防問題、特に戦略・作戦術・戦術に関する論議を高めること、だという。
ここで、ロシアになってからの安全保障構想(戦略)と軍事ドクトリンの制定ぶりを順を追ってみる。1993年11月に最初の、また“ロシアの発展過渡期”の「軍事ドクトリンの基本規定」を制定、97年12月に初の安全保障構想を制定、プーチン時代の2000年1月に安全保障構想を改正、これを受け同4月に軍事ドクトリンを改正、次いでメドベージェフ時代の09年5月に「2020年までの安全保障戦略」を制定、それに基づき10年10月に軍事ドクトリンを改訂、そして14年12月25日付の軍事ドクトリンの修正である。
つまり、安全保障構想・戦略を先ず制定、次いで軍事ドクトリン制定が通常の流れであるのに、93年と今回の修正は、軍事ドクトリンの制定が先行している。どのような事情があったのであろうか。
エリツィン・ロシアになって軍事ドクトリン草案が発表されたりしていたが、上位の安全保障構想が定まらないまま、急遽(きゅうきょ)、軍事ドクトリンが、93年11月2日、安全保障会議で承認、同日大統領が署名、公布された。この制定の前月に、憲法で最高の権力機関と定められ、機能していた最高会議(議会)を、エリツィン大統領は、彼の政策に頑(かたく)なに反対するとして戦車を並べ、副大統領、最高会議議長、議員などが立て籠(こ)もる議会を砲撃して武力で解散させた。
当時、軍は外敵に備えるもので、国内の問題対処は内務省国内保安部隊の任務と定められていた。それで「このような政治的事態に軍を使用する根拠法令がない」と軍首脳が反対し、大統領の子飼いといわれた国防相も軍による武力行使を一時ためらった。これを苦々しく思ったエリツィン大統領は、直ちに軍の国内での使用も盛り込んだ軍事ドクトリンの基本規定を制定したのである。
エリツィン政権が制定した国防法では、最高会議が軍事ドクトリンを採択すると規定していた。最高会議が解散されたとはいえ、その後の選挙で選ばれる議会が軍事ドクトリンを討議・承認するのが三権分立の法治国家のするところである。ところが、たんなる大統領令で公布したのである。このやり方は後に大統領令で法律化され、現在でも踏襲されている。これが、エリツィン・ロシアの行った民主政治の実態であった。
今回も基本である安全保障戦略には手をつけず、軍事ドクトリンをたったの4年で修正、昨年12月25日公布した。
安全保障会議が軍事ドクトリンの修正を審議、承認(昨年12月19日)した同会議の説明(20日)では、10年以降の情勢の変化を次のように記している。
第一にロシアへの新しい脅威の出現、つまりウクライナ情勢とそれをめぐる脅威、さらに北アフリカ、シリア、イラク及びアフガニスタンの脅威である。第二は先進国が自己の利益追求のための闘争において“間接的行動”を活用、市民の抵抗力や急進的かつ過激な組織、さらには民間軍事会社を利用している。第三はロシアと国境を接する国々へNATOが攻撃力を増強したり、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)システムの全面的展開を積極的に行っている。
つまり、先進国が支援をした一連のカラー革命、ウクライナの政変が新たな脅威をもたらし、さらにNATOの拡大・増強、米国のミサイル防衛計画の実現化、兵器の超近代化促進などが相次いで生じた。特にウクライナ問題が、ドクトリン修正の引き金になったのは時期的にも間違いない。
本修正で、劇的な変化に応じた軍事的対処や軍事力整備の方向を示し、対外的にロシアの考えを明らかにしたのである。ただ、これまで同様2020年までを想定、本筋では大きな変更はなく、「修正」の域に止まっている。
(いぬい・いちう)