プーチン露大統領の歴史像

小林 宏晨日本大学名誉教授 小林 宏晨

独ソ不可侵条約を評価

ウクライナ情勢重ねる認識

 プーチン・ロシア大統領は欧州における侵略戦争を“復活”した。ロシアの歴史像は、この展開に適応し、1939年の独ソ不可侵条約を“復権”した。

 ロシアがウクライナにおける軍事攻撃を継続している間、プーチン大統領は、かつて第2次世界大戦の勃発を裏付けたヒットラー・スターリン条約について言及し、1939年8月23日の独ソ不可侵条約が良き対外政策だったとの主張をもって、旧(ふる)いソビエトのタブーを破り、しかもこの条約が「不道徳」であったとのこれまでの判断を修正した。何がプーチンに、このような転換をさせたのだろうか。何がヒットラーとの同盟をかくも魅力的に思わせたのだろうか。ロシアが欧州領域への侵略戦争の伝統を再生したこの時期における第2次世界大戦の歴史の修正は何を意味するのだろうか。

 プーチンの最近の演説は、希望的幻想によって導かれたロシアの過去の再構築を表明している。プーチンは、2014年2月に対ウクライナ戦争を開始して以来、奇妙な歴史像を提示する。ロシアとウクライナは千年以上にわたって一つの国民であったと彼は主張する。しかもプーチンは、半島の占領と併合の後、クリミアが古くからロシア領であったと主張する。しかし実際クリミアは、数百年にわたって、多様な欧州文化が提示された領域であった。そのロシア的性格は、本質的にスターリン政権による1944年のクリミアタタール人の追放の結果である。

 ロシアのプロパガンダによれば、西側諸国は退廃的で、ウクライナ国民が存在せず、全てのウクライナ人が民族主義者であり、ウクライナ国家は存在しないが、その国家機関が住民を弾圧をしており、ウクライナ語は存在しないが、ロシア人が、この受け入れを強制されているのだ。

 このような奇妙な歴史の歪曲(わいきょく)にもかかわらず、ヒットラー・スターリン条約に対するプーチンの賞賛の言葉は、特別関心に値する。この同盟の20世紀の歴史に対する重要性は如何に重く評価してもし過ぎることはない。この同盟は、ヒットラーをして、ソ連の支援をもって、ポーランドに対する侵略戦争を遂行する全てのそれ以降の諸悲劇の始まりになったのだ。

 スターリンが理性的な大政治家であるとのプーチンの評価は、誰もがスターリンに抵抗すべきではなかったという結論になる。プーチンの評価は、ソ連の対外政策に関する注目すべき判断であるばかりか、1939年ヒットラーに対する抵抗を行う必然性があったとする戦後のドイツ連邦共和国の設立神話を疑問視することを意味している。

 しかも当然のことに、反対の決定を行った諸国が存在した。フランス、イギリス及びとりわけポーランドは、1939年にヒットラーに抵抗した。1934年の初頭から1939年の初頭までの5年間にヒットラーは、ポーランドをソ連に対する戦争のための同盟国にする努力を試みて失敗した。1939年8月ヒットラーは、3日にわたってポーランドに対する戦争のためにスターリンの説得を試みた。スターリンは、ヒットラーの提案を感激して受け入れた。

 ヒットラー・スターリン条約を裏付けとして1939年9月17日ポーランドへの攻撃をもって、同盟者ヒットラーの支援に回ったスターリンの赤軍は、東側からポーランドに攻め入り、しかも独ソ両軍は共同で勝利のパレードを行った。新たな分離線の内部でソ連秘密警察は、約50万人のポーランド市民を強制収容所に強制連行し、加えてドイツ国防軍と戦っていた数千人のポーランド将校を処刑した。更にソ連秘密警察は、ポーランド市民を殺戮(さつりく)したが、その多くは高い教養を伴った予備役将校であった。彼らは、ポーランド国家を担うエリートで、その多くはユダヤ系であった。その殺戮により、その家族の多くはドイツ占領軍に引き渡され、後の大量虐殺〈ホロコースト〉の対象となった。

 しかも2014年のロシアの反ウクライナ運動は1939年のドイツの反チェコスロヴァキア宣伝と驚くべき類似性を有している。これに外国(ロシア)の援助無しには如何なるチャンスも持たないウクライナ分離主義者への支援が加わる。

 ナチスドイツとの同盟時代における東ポーランド占領に続くソ連の大がかりな侵略は、1939年11月のフィンランド攻撃であった。従って、ヒットラー・スターリン条約の“復権”は、同時に対フィンランド戦争の“復権”でもあった。1940年夏ソ連は、バルト3国へのソ連軍の駐留の受け入れを強いた。疑似住民投票の後、バルト3国はソ連に併合された。その直後には、それぞれのエリート層の大部分を含む数万の市民の強制移住が行われた。

 ことほど左様に、プーチンが評価したヒットラー・スターリン不可侵条約は、ナチスドイツとソ連の侵略戦争開始、つまり第2次世界大戦勃発の裏付けとなった。このようにして開始された第2次世界大戦の終結70年の記念行事の内容は、間もなく明らかになろうが、少なくとも、全体主義陣営に対する民主主義陣営の勝利、あるいは植民地主義陣営に対する植民地解放陣営の勝利等々の単純化は説得的ではなかろうと判ずる。

(敬称略)

(こばやし・ひろあき)