ウクライナ情勢に観る「好機」

櫻田 淳東洋学園大学教授 櫻田 淳

びくびくしているロシア

対応に「創造性」要する日本

 「ロシアは常に、びくびくしている」。ロシアは、建国以来、幾度となく外敵の侵入を受けてきた事情を反映し、こうした安全保障上の切迫意識を持っている。これは、第2次世界大戦後、東欧地域に「衛星国家」群を形成したヨシフ・スターリンの執政においても当てはまるものであり、ロシア認識の基本と呼べるものであろう。

 目下、ウクライナ事変の展開を前にして、日本を含めて西側諸国のメディアは、総じて「ウラジミール・プーチン(ロシア大統領)=狼藉(ろうぜき)者」というイメージで報道している。しかし、「ロシアは、常にびくびくしている」という前提認識の上に立てば、ウクライナ事変の様相も変わってくる。そもそも、「米国や欧州連合は何故、ウクライナに手を突っ込んだのか」という問いを立てれば、どういうことになるであろうか。現在、国際政治学上の「現実主義者」と語られる人々の中でも、エドワード・H・カー(歴史学者)やジョージ・F・ケナン(歴史学者)のように、ロシア事情に精通していた向きは多い。特にケナンは、冷戦初期の米国政府部内では、「ロシアは常に、びくびくしている」事情を的確に察知していた。それ故にこそ、冷戦初期、彼が立案を主導した対ソ戦略の意図は、久しく誤解されてきたような「封じ込め」ではなく、「堰(せ)き止め」であったのである。

 ケナンは、米国外交における「法律家的、道徳家的手法」を批判したことで知られる。バラク・H・オバマには、弁護士出身という経歴も反映して、その「法律家的手法」が悪い形で出ていないであろうか。オバマは、ウクライナ事変当初から、「ロシアを孤立させる」と息巻いたように、対露強硬姿勢を露わにしていた。しかし、ロシアを「孤立」に追い込んだとしても、たとえば、「それならば、シリア情勢には、どのように対応するのか」という問題は必ず現れる。シリア情勢を含めて、ロシアの「影響力」が必要な案件が浮上したら、オバマはプーチンに何を語るのか。オバマは、自らの対露強硬言辞によって、却って対露政策の幅を狭めていないであろうか。事実、「冷戦の終結」直後の1990年代半ば、ケナンは、NATO(北大西洋条約機構)を東方に拡大させることに懸念を表明していた。「ロシアを追い込むな」というのが、彼の議論の趣旨であった。実際には、ロシアの西方に「緩衝地帯」として存在していた国々は、それこそラッキョウの皮むきのごとく、次々と西方に去った。ロシアにしてみれば、最後に残っているのは、ベラルーシとウクライナということであろう。前に触れたように、度々、西方から侵略を受けたロシアの歴史認識からすると、これは、大層な不安を意味する。そうした不安を理解していればこそ、ケナンは、「ロシアを追い込む」政策対応には批判的であった。ケナンの生前の洞察は、現在こそ参照に値しよう。

 こうして考えれば、ウクライナの「フィンランド化」が、ひとつの解答かもしれない。フィンランドは、現在に至るまでNATOに加わっていない。第2次世界大戦後、フィンランドがソ連圏に組み込まれることなく、資本主義国家としての独立を保ったのは、「隣国としてソ連に不安を与えない」政策路線を徹底したからである。もっとも、ソ連も、第2次世界大戦前夜のソ連・フィンランド戦争(冬戦争)でフィンランド軍の雪原ゲリラ戦術に手を焼いた記憶もあり、この小さな隣国には阿漕(あこぎ)な真似はできなかったということである。これに倣えば、欧米両国とロシアの間で、ウクライナの立場について、「ウクライナの経済上の欧州傾斜は容認するけれども、NATO加盟のごときは考えない」ということで妥協ができれば、それが最善のシナリオかもしれない。北欧諸国は、専ら「福祉の理想郷」のイメージでばかり語られているけれども、安全保障の有り様の方が興味深いのである。

 日本政府の対応でいえば、ウクライナ事変の過程で「余計なことを言わなかった」のは、僥倖(ぎょうこう)であった。此度の事変を機にして、ロシアと「西方世界」の間に「冷戦の構図」が復活するならば、日本は、基調としては「西方世界」に足並みを揃えなければなるまい。具体的な政策対応としては、ウクライナ経済安定のためには、日本は、支援を期待されるであろうし、その期待に応えるべきであろう。しかし、そうした政策対応の最中でも大事になるのは、ジョージ・F・ケナンの言葉にある「ロシアを追い込まない」配慮であろう。欧州方面とアジア・太平洋方面の事情は異なる。

 欧州方面での対立が鮮明になる程、アジア・太平洋方面でロシアに対峙する日本の対応には、「創造性」が要請されよう。それは、ひとつの「好機」と受け止めるべきであろう。(敬称略)

(さくらだ・じゅん)