東大の入試制度改革の混迷
9月入学挫折し多様化
大学ランキングを過剰意識
日本の大学は制度疲労をきたしており、入試の方式を含めて文科省も種々提案しつつあるが、その契機となったのは東大だったから、今回はそれをとりあげたい。
ほぼ2年前の2012年1月20日に東大が『入学時期の在り方に関する懇談会』の中間報告(本文・附属資料とも31ページ)で、国際的な学事暦に合致するように、5年後に秋入学に移行することを提言した。
この発表では、入学試験と合格決定は従来通り3月に行うが、実際の入学と授業開始は9月とし、入学予定者はそれまでの半年間の「ギャップターム」を各自、短期海外留学なりボランティア活動なりに有効に活用するようにという、常識では理解しがたいものだった。経済的に裕福でない家庭の子女は、学生の身分もないままにアルバイトを強いられ、さらに大学卒業後4月の就職まで半年間も無収入になるおそれがあった。
にもかかわらず、当初各界からかなりの賛同があった。けれども、他の大多数の大学が追随せず、国家資格試験等の実施時期の変更が困難であることなどが明らかになって、東大自体も原案を放棄して4月入学、クオーター制(後述)の採用により直ちに講義を受けられるようにするという方針らしい。今後まだ紆余(うよ)曲折があろう。
事の起こりは、東大が国際的な大学ランキングを意識して順位向上を企図したことにある。ランキングはいろいろな機関が公表しているが、最も広く使われているTHE(タイムズ・ハイアー・エデュケーション)では、上位のほとんどは常にアメリカとイギリスの大学である。
順位を決定する要因は、①研究者による評価、②論文の引用度、③研究業績、④教員・学生の外国人比率などである。これらはすべて欧米が慣用的に取り入れてきたものであって、日本の大学にとっては不利である。
①評価する研究者の大多数は欧米人であろう。彼らの相互の交流と親密度は当然深い。
②論文の引用は英語が圧倒的に有利である。理系では日本でも英語で論文を発表することが少なくないが、それでも英文として魅力があるかどうかも問われる。一方、文系では、ほとんどの論文が日本語で発表される。また、日本文学や日本語や日本思想等にはもともと外国の関心が低い。このために、理学部や医学部を持たない大学は評価の対象にさえならない。
③研究業績はノーベル賞をはじめ国際的な学会の賞の受賞と権威ある国際研究雑誌掲載がポイントで評価される。これも大きく理科系に傾いている。
④外国人留学生は、講義が英語で受けられるか、日本の研究水準が高いとみなされるかに左右される。
ゆえに、本来東大は国際ランキングなど気にすることはないのである。皮肉な見方では、学年を9月で区切れば欧米の大学との教員の交流が容易になり、外国人教員がふえれば、その人たちが英語で論文を書くので、引用される率も高くなることを東大は期待していたという。
アメリカの大学は従来1年を9月と2月の2回の入学とするセメスター制だった。日本でもセメスター制を称している大学はたくさんあるものの、実態は1年の途中で1回試験をする、通年の2学期制に過ぎない。
本来のセメスター制では、どの課目でも短期間に集中して勉強することになるし、何らかの理由で単位を落とした学生でも半年で追いつけるメリットがある。その途中でも他大学での単位を認めてもらって今や随時転入学・随時卒業の状態になっている。
最近ではもっと集中して学習する方が効果があるということで、1年を四つに分けるクオーター制が普及しつつある。つまり3カ月間毎週2回の講義で2単位を履修する方式である。日本では国際基督教大学がすでに導入しており、お茶の水大学も採用を決定している。
東大では多くの教授が、「春秋2回同じ講義をするのは負担が多すぎる」という理由でセメスター制も導入できないでいたのに、なんと2015年度末までにクオーター制に移行するという。本当に可能だろうか。
さらに東大はたった一度の学科試験の1点の差で合否を決定するのは合理的ではないとして、2016年度に各高校男女1名の推薦者の入試で100人を選抜すると発表した。高校の成績や校外活動の実績は評価の基準が明らかでないから、結局は定員をオーバーして学力競争になるだろう。有力高校で推薦を受けられる生徒なら、一般入試でゆうゆうと合格するだろう。それが推薦入試で不合格になったら傷つくだけだから、多分推薦を辞退するだろう。この制度は東大合格者を出していない高校を救済するには役立つかもしれない。
文科省はこの程度でも入試多様化の一環として歓迎しているが、東大の入試改革担当者たちは東大の看板をかざせばみなひれ伏すと依然として思っているのではないか。やはり大きな勘違いをしているらしい。
(おおくら・ゆうのすけ)