大震災3年に宗教を考える

300哲学者 小林 道憲

文明を再生させる役割

科学発展しても不安な人心

 わが国が東日本大震災に見舞われて丸3年になり、徐々にではあるが復興しつつあるようである。ただ、あまり注目されていないことだが、この大震災からの復興で宗教が果たした役割も大きかったと言わねばならない。宗派を問わずに遺骨や位牌(いはい)を預かった寺院、埋葬や法要の営みで寺院が果たした鎮魂の役割、破壊された寺や神社の再建、お墓の建て直し、村や町の祭りの復活などが、人と人のつながりを強化し、それが結果的には、経済の再建にもつながってもいった。

 このことを考えると、もともと、文明の成立と再生に宗教が大きな役割を果たしていたことに思い当たる。宗教は、どの宗教も、人間の苦悩と罪悪からの救いを目指すものである。しかも、このような宗教が、神像や聖像を生み出し、神殿や教会や寺院を造り出し、それらを中心に、政治、経済、社会の営みが行われ、都市も成立してきた。宗教が文明の誕生と成立に果たした役割は大きい。

 また、この文明と文明の出会いから、より高度な宗教が登場してきたことも事実である。文明間の出会いは、戦争や闘争を生み出し、社会の大変動を引き起こし、その結果、人間の罪悪や苦悩についての深い洞察が生まれる。そこからの救済を求めて、仏教やキリスト教やイスラム教など、より高度な宗教が生まれ、それが全人類に開かれた宗教となった。高度宗教が文明の発展と維持に果たした役割も大きい。

 例えば、古代ローマ文明を考えてみよう。特にその帝政期は、現代同様、混沌とした不安な時代であった。社会の激変とともに、旧来の共同社会は崩壊し、人々は不安な生き方をしなければならなかった。

 地中海東部から流入してきた数々の密儀宗教が、3世紀のローマ文明の急激な崩壊に乗じ、大衆の心をつかんで流布したのも、ローマ社会の動揺と不安に根差していた。エジプトから渡来したイシス崇拝、アナトリア由来のキュベレ崇拝、イランから流入したミトラ信仰などは、その代表である。これらは、どれも、神秘的な祭儀でのエクスタシーを通して神と合一し、永遠の生命と救いを獲得しようとするものであった。

 これらの密儀宗教の特徴は、今日の新宗教同様、地縁的な共同社会に根差した宗教から、個人を基礎とした宗教へ転換したことである。ローマ社会の激変とともに、地縁的な共同社会が崩壊し、不安に陥った人々は、このような宗教の集まりに参加し、悲惨なこの世の生活からの救いを得ようと願ったのである。ローマの人々は、〈パンとサーカス〉だけでは満たされぬ孤独と不安からの救いを、新しい宗教の中に見出したのである。

 ユダヤ教と古代ローマ文明との対決の中から生まれ、密儀宗教の影響も受けたキリスト教も、救世主の再臨という魅力的な説ゆえに、ローマ帝国内の貧しい大衆の間に広まった。「イエス・キリストは神の子であり、イエスの十字架上の死は人類の罪の贖(あがない)いである。このイエスの贖罪(しょくざい)を信じ悔い改めるなら、必ず神の恩寵(おんちょう)はあり、その助けによって、われわれは永遠の生命と浄福を得ることができる」というのが、パウロの教義であった。パウロの教義は、信仰のみによって誰もが救われるという教えだったために、無力なローマの民衆に希望を与えた。

 もっとも、このキリスト教も古代ローマ文明の頽廃(たいはい)と滅亡を食い止めることはできなかった。帝政ローマ後期に国教となったキリスト教も、少なくとも西ローマ帝国の崩壊を救うことはできなかったのである。ただ、このキリスト教が、次の新しい文明、ビザンツ文明やヨーロッパ文明、さらにイスラム文明を生み出し、古代ローマ文明と新文明との橋渡しの役割を果たしたことは確かである。

 高度宗教は、文明の挫折と解体、そこからの文明の再生においても、大きな役割を果たす。何より、文明の挫折と解体に伴って自覚される人間の貪欲、堕落、そして不安は、宗教のより高度な純化をもたらすとともに、この高度化した宗教は、次の新しい文明に引き継がれていく。トインビーの言うように、宗教は、親文明と子文明の間の仲介者の使命を果たすのである。

 現代文明は、高度に発達した科学技術に支配された文明であって、これが世界の一様化と合一化をもたらしている。21世紀の地球文明も、この方向がより進展するであろう。しかし、科学技術が発展すればするほど、人々の不安は募り、不安の救済を求める要求は増大する。それにつれて、宗教の必要性もより高まっていくが、ただ、宗教といっても、単に教団や宗派、教会や寺院を意味するのではない。宗教は、本来、永遠根源的なるものを求める人間の願望である。だから、救済は、われわれの心の中にある。その目に見えないものから文明も誕生してくるのだと言わねばならない。

 東日本大震災の破壊と復興での宗教の役割から、文明の衰退と再生に果たす宗教の役割に思いを馳(は)せたいと思う。

(こばやし・みちのり)