クリミア問題と西側の結束
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
戦闘的行動とるロシア
指導力発揮迫られる独首相
ウクライナの自治共和国であったクリミア半島がロシアに併合された。国際法や国際世論を完全に無視した大胆不敵な行動の中長期的意味合いは大きい。
まずロシアの意図は何なのか。プーチン大統領はクリミア以外のウクライナに興味はない、クリミアの分断は望まないと演説で述べたが、その1週間ほど前にクリミアを併合しないと述べたことを考えれば、本心は分かったものではない。ロシアが東ウクライナで不穏を先導しそれを口実に介入しないようにするにはどうするか。次はロシアの食指が伸びることを恐れるバルト3国やウクライナに隣接するポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアを西側諸国がどう守るのか。バルト3国そして隣接4カ国はすべて欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国である。
住民の過半数がロシア系であり、かつてソ連領だったクリミアにアメリカや西側諸国が軍事的介入する可能性は始めからなかった。ロシア軍の装備でアメリカやNATOに対抗する力はないが、ロシアは核保有国であり、クリミアをめぐって西側がロシアと軍事衝突するつもりは毛頭ないことはプーチン大統領の計算通りだろう。西側の対応策は外交および経済的手段、そしてNATO加盟国防衛のための抑止的手段である。
アメリカはバルト3国への追加配備やロシアの経済を締め付ける制裁を取りだしたが、効果的な痛みを与えられるかは、アメリカとは違いロシアのガスや石油を大量に輸入し、密接な投資、貿易関係のある欧州にかかっている。ロシア企業ガスプロムの収益の8割が欧州向けガス輸出である。
そして欧州の姿勢は何よりもドイツの出方にかかっている。ドイツは欧州最大の経済国であるばかりか、ロシアの天然ガスの最大の顧客であり、ドイツ企業はロシアの輸入の1割を占める。中国がEUとの貿易交渉を進めるにあたってドイツに焦点を合わせることが象徴するように、EUの政策、特にユーロ圏の政策を動かすのはドイツであり、メルケル首相は欧州最強の指導者である。そればかりでなく同首相はプーチン大統領のKGB時代に東独で育ち、ロシア語は堪能、西側指導者の中でプーチン大統領と一番話が通じ、同大統領から一番重んじられる指導者と言われる。
しかし、ドイツはこれまで紛争、ましてや西側とロシアとの対峙で表に出ることはなかった。東西ドイツが戦地になることを防ぎ、ソ連との対話、貿易促進による経済的絆の強化を図り、東西ドイツの統一を目指して採用されたオストポリティーク(東方政策)精神は今でも生きている。これは経済大国となり、東西統一がかなっても、全ての周辺国に侵攻した2度の大戦の敗戦国として軍事力行使を嫌い、ドイツ色を表に出すことを避けてきた姿勢と相まって、ドイツの国力相応の大国らしい行動をとる妨げとなってきた。
しかし、クリミアに対するロシアの行動は、ドイツにオストポリティークの限界を示し、実力に見合った指導力を発揮することを迫っている。プーチン大統領は、メルケル首相がエネルギーばかりでなく独露間の貿易、ドイツ企業のロシアへの投資などを鑑み、これまで通りに口では厳しいことを述べたとしても、具体的な行動には出ないと踏んでいた可能性は高い。
EUはロシアのエネルギーばかりでなく、例えば英国はロシアの富裕層のシティーや不動産などへの投資、フランスは強襲揚陸艦の対露輸出などロシアとの経済関係は貴重であり、EUにとってロシアの報復は怖い。しかし、ドイツが厳しい姿勢を取れば、他国も付いてくる可能性が高い。あまり効果はないと言われるものの、制裁の第一歩であるクリミア侵攻に関わったロシアやウクライナ人へのビザ発給制限や資産凍結が、EUにしては手早く決まったのは、メルケル首相の対露姿勢の変化の表れである。
しかし、EU内は割れている。より厳しい制裁を望む英国やポーランドに比べイタリアやキプロスなどは弱腰である。EU政策をまとめられるかはメルケル首相の手腕にかかっている。
アメリカと欧州の団結こそがロシアに対抗する効果的な武器であるが、核サミット中に開催されるG7では日本も積極的にかかわる必要がある。80年代、対ソ核政策でやはり欧州はまとまらなかった。中曽根首相は日本がNATOの一員でないにもかかわらず、G7で日本の安全保障は欧米の安全保障と不可分と発言し、西側の団結を促し、時の米大統領の尊敬と感謝を得た。
プーチン大統領のクリミア半島侵攻、併合は素速く、計算づくのようにみえる。しかし、その昔ソ連が認めた北朝鮮の南への侵攻(朝鮮戦争)やベルリン封鎖が、西側諸国の結束を固め、紙上の約束でしかなかった北大西洋条約を軍事機構にしたように、クリミア併合は冷えきっていた米独関係を修復し、NATOの意義を再確認し、ドイツやアメリカの外交・安全保障政策をプーチン大統領にとってありがたくない方向に向かわせようとしている。日本もこの動きに即すことが期待される。
(かせ・みき)