ビートルズをつくったユダヤ人
獨協大学教授 佐藤 唯行
才能を発掘し売り込み
マネージャー、楽曲出版、興行も
ユダヤ系マネージャーはその昔、アメリカでは黒人音楽家をメジャーな音楽市場へ導く役回りを果たした。一方、黒人が少なかった昔の英国では、白人労働者階級の音楽を主流派の音楽産業に売り込む役目を担ったのだ。
在米黒人は人種差別により音楽市場への参入が制限され、労働者階級出身の在英白人は階級の壁に行く手を阻まれていたからだ。長い歴史の中で壁に苦しみ乗り越えようと苦闘を重ねてきたユダヤ人だからこそ、同様の困難に直面したマイノリティー出身の若い音楽家たちに適切な助言を与えることができたのだ。
5人目の男エプスタイン
ユダヤ系マネージャーは彼らの才能を発掘し、ロック音楽を大衆文化の主流へと押し上げ、巨大なグローバル産業へと発展させる上で重要な役割を果たしたのである。その筆頭がビートルズをスーパースターに育て上げることで音楽界に一大変革を巻き起こしたブライアン・エプスタインであった。彼は史上最も成功したマネージャーの一人と評されている。
舞台で悪態をつき平気で遅刻を繰り返す4人組は、彼の指導で観客に会釈を欠かさぬ好青年へとその姿を変えたのだ。最初のヒット曲「ラブ・ミー・ドゥー」のレコード製作を立案・指揮。売り込みに心血を注ぎ、大手レコード会社との契約に漕(こ)ぎ着けた。彼がマネージャー役を引き受けて僅(わず)か1年ほどで、リバプールの無名グループは大スターに上り詰めたのだ。
ビートルズの大成功にエプスタインが果たした役割は大きい。1967年の彼の急死がビートルズ解散の引き金となったとも言われている。メンバー間の不和を抑えてきた宥(なだ)め役がいなくなったからだ。
4人組がエプスタインを雇った理由は、欲得抜きの人柄、資金力、音楽業界にコネがあったばかりでない。「同性愛者のユダヤ人」という点も重要だ。「ショービジネス界のゲイの人脈を考えれば、エプスタインの登用は多くの点でプラスになるはずだ」とポール・マッカートニーは語っているからだ。
またポールの継父も登用に即座に賛成し、こう述べたそうだ。「彼は良いマネージャーになるよ。何故(なぜ)ってユダヤ人は金儲(もう)けがとても上手だからね」。この発言について後年、ポールはこう付け加えている。「親父は正しかったよ。ブライアンは俺たちに凄(すご)い利益をもたらすと思ったのさ。…もし5人目のビートルズがいたとすれば、そいつはブライアンだ」
エプスタインの周囲には多くのユダヤ系が協力者として集まった。その一人、助手を務めたオーダムは独立後、発掘したローリング・ストーンズを助手時代に学んだ手法で育てた。ビートルズとの差別化を図るため「不良らしさ」を強調したイメージ戦略はオーダムの発案だった。
ビートルズの楽曲出版を手掛けたことでポピュラー音楽史上にその名をとどめたのがノーザン・ソング社だ。エプスタインと共に同社を設立した共同経営者ディック・ジェームズはユダヤ人らしからぬ名だが、れっきとしたユダヤ人だ。ビートルズ解散後、ソロシンガーとなったポールとジョン・レノンの楽曲出版元となったのもこの会社だ。後年、ジェームズは英大衆音楽界の舞台裏の中心人物となり、英音楽出版協会会長を歴任している。
ビートルズが世界的大スターとなるために、ぜひとも必要だったのが米音楽市場での実績作りだった。これを実現するためエプスタインと手を組み64年2月に米初公演を仕切ったのが在米ユダヤの興行師バーンスタインだった。
巨額の契約を電話での口約束で済ませてしまうほど、深い信頼で二人は結ばれていた。人脈を駆使し、視聴率抜群のエド・サリヴァン・ショーへの出演を実現。渡米前、知名度がいまだ低かったアメリカでの認知を一挙に高めた仕掛け人だった。
英国ロック発展に貢献
さて以上のようにユダヤ系は芸能マネージャー、楽曲出版社の経営者、興行師として英国ロック音楽の発展に重要な役割を果たしてきたことがお分かりいただけたと思う。ビートルズとユダヤ人。意外な接点に驚かれた方も多いだろう。それこそユダヤ社会の人材の厚みと言えよう。
(さとう・ただゆき)
次に近世・近代だが、英国と比べ差別がかなり強かったフランスでは、ユダヤエリートが活躍できる場が限られていた点が特色と言える。ユダヤエリートが著名なキリスト教徒と協力し偉業を成し遂げる事例は英国に比べ少ないのだ。カトリックの国フランスと異なり、プロテスタントの国英国には宗教的理由でユダヤ・イスラエルを支持するキリスト教シオニストが400年近く勢力を保ち続けているからだ。クロムウェル、ロイド=ジョージ、バルフォアはその代表だ。
また宗教的信念からではないが、ユダヤ人と深く結び付いた有力政治家・軍人も珍しくない。ネルソン提督、チャーチル、サッチャーがその典型だ。いずれも高校世界史に登場するほどの有名人だが、フランス史の中で彼らに相当する「ユダヤの友」は見当たらない。
スエズ運河買収に成功
最後に英国ユダヤ系自身が世界史の流れに大きな影響を及ぼした事件を紹介しよう。1875年のスエズ運河買収だ。破産に瀕したエジプトが売りに出したスエズ運河を、宿敵フランスに奪われる前に首相ディズレーリがひそかに交渉を進め、盟友ロスチャイルドが短期間に巨額の資金を調達し買収を成功させ国益を守った一件だ(ディズレーリは立身のためキリスト教に改宗したとはいえ、終生旺盛なユダヤ人意識を持ち続けた男だ)。
これにより英国のアジア進出が加速されたのだ。匹敵する事例を仏ユダヤ史の中に見いだすことはできない。近世以後の英国が差別が少ない寛容な社会風土であったからこそ、他国に勝るユダヤの活躍を生み出し、それこそが英国ユダヤ史の尽きせぬ魅力となっているのだ。
(さとう・ただゆき)