新型コロナと中国のプロパガンダ

日本安全保障・危機管理学会上席フェロー 新田 容子

感染症の流行制御と宣伝
“世界の大国”印象付け狙う

新田 容子

日本安全保障・危機管理学会上席フェロー
新田 容子

 中国は、世界に先駆けて新型コロナウイルスに取り組み、責任を果たす慈悲深い“世界の大国”というイメージを植え付けようとしている。これは習近平国家主席率いる中国のシステムが、西側のそれよりも効果的であることを見せ付けたいとする野望と一致している。しかし世界がその意見を共有するかどうかは別の話だ。

 中国を慮(おもんぱか)る姿勢があからさまな世界保健機関(WHO)事務局長の辞任を求める署名活動がネット上で60万人に届きそうだ。(3月27日付「チェンジ・ドット・オルグ」)。国際社会のリーダーになる「インテグリティー」(誠実さ)が中国には欠けていることを示唆するものだ。

ロシアの偽情報に便乗

 今、中国の外交官たちが内外のメディアに、自国が世界のリーダーのモデルとする語り口を連日繰り返し広げている。中国は新型コロナウイルスの感染を当初抑制しなかった事実を塗りつぶし、党が発信するメッセージを拡散させ、真実を書き換えようとしている。

 新型コロナウイルスを「武漢ウイルス」と呼ぶべきだとする米国の呼び掛けは、先進7カ国(G7)でコンセンサスが得られていない。欧州連合(EU)では、イタリアなどへの財政支援策もドイツやオランダの反対で一致を見いだせないでいる。今、中国が新型コロナの感染拡大で喘(あえ)いでいる国々に行う支援は、中国のプロパガンダを浸透させる格好の手段となっている。

 この背景にあるのは今年1月にロシア政権お抱えのプロパガンダチームが「新型コロナウイルスは米国のビルゲイツ財団や米国政府研究所が作った」とする偽情報を発信したことだ。

 オンライン上での宣伝や戦闘員募集活動を阻止する目的で、オバマ前米政権で設立された米国務省傘下グローバル・エンゲージメント・センター(GEC)のリー・ガブリエル特別代表は、ロシア政府が進めるインターネット交流サイト(SNS)上や、政府系メディアのスプートニク通信社、国営テレビ英語放送RTを通じて偽情報を流すシステムに中国が乗った構図だと言う。

 健康関連の懸念をエスカレートさせる偽情報の種をまくのはロシアの伝統的な戦略だ。それは1990年代初頭の「エイズウイルスは米国が作った」というロシア発のプロパガンダにも見られる。

 新型コロナ感染拡大のニュースが連日伝えられる中、ロシアはネット上で偽情報を急速に拡散させ、混沌とした状態を作り出そうとしている。ターゲットとなるのは米国、EU、またこれらを取り巻く諸国だ。

 一方、パンデミック(世界的流行)は中国と習主席自身にも無数の経済的リスクをもたらしている。習主席が今年打ち出した「中康社会(いくらかゆとりのある社会)の全面的達成」という目標を含め、政治的経済的目標を達成する見込みはなく、党内での地位が傷つく可能性がある。また世界的な景気後退にも直面しており、当局が企業に生産を再開するように圧力をかけても、中国製品に対する需要は弱まっている。

 習主席の狙いは、自分自身と党が感染症の流行を制御したと位置付けることだ。権力の掌握は確固であり、新型コロナ感染症をめぐる「戦い」を勝利と特徴付けようとしている。

 また、新型コロナが中国外に拡散し始めた後、中国のハッカー集団は1月20日にメーカー、メディア、医療機関、非政府組織(NGO)を含む75ものターゲット(米国、カナダ、英国、メキシコ、サウジアラビア、シンガポールなど10カ国を超える)にサイバー攻撃を開始した。新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)で、各国の企業や医療機関がよりオンラインにつなぐ時間が増えており、大量のデータを吸い取る狙いだ。

偽情報打ち消す努力を

 このような国家プロパガンダ組織対策に特効薬はない。偽情報がいったんネットに載ったら(SNSを含む)これを一つ一つ打ち消すことだ。ネットのニュースやSNS上の記述をそのまま受け止めてしまうのが人間の心理である。日本には米国のGECのような組織はないが、ファクトチェックを担うべきジャーナリスト、政府や自治体のリーダー、SNSで大きな影響力を持つ「インフルエンサー」たちが互いに協力し合い、声を上げることから始める必要がある。事例を見逃さないこと、目をつぶらないことだ。

(にった・ようこ)