ミシェル夫人の過去 反米・反白人学生組織に所属
再考 オバマの世界観(19)
バレリー・ジャレット米大統領上級顧問と共に、オバマ大統領がシカゴで出会ったもう一人の「女性同志」がミシェル・オバマ夫人だ。
オバマ氏がミシェル夫人に初めて会ったのは1989年。当時、ハーバード大学ロースクールの学生だったオバマ氏が、夏休みにシカゴの法律事務所でインターンをした時、指導役を務めた先輩弁護士がミシェル夫人だった。
最初のデートで映画を観(み)た後、オバマ氏はミシェル夫人をシカゴ市内の教会の地下室に連れて行く。そこで開かれたのは、コミュニティー・オーガナイジングの講習会だった。ジャケットを脱ぎ、腕まくりして、「今ある世界」を「あるべき世界」に変えようと訴えるオバマ氏に、ミシェル夫人は感銘を受けたという。
「今ある世界」「あるべき世界」は、オバマ氏に大きな影響を与えた極左活動家ソウル・アリンスキー氏の著書「過激派のルール」に出てくる表現だ。ミシェル夫人は2008年民主党全国大会でのスピーチをはじめ、たびたびこの表現を用いており、オバマ氏の影響でアリンスキー理論に傾倒した可能性が高い。
1992年にオバマ氏と結婚したミシェル夫人はその翌年、「公共同盟」という非営利団体のシカゴ支部事務局長になる。保守派評論家スタンリー・カーツ氏によると、公共同盟シカゴ支部は若者をリクルートし、コミュニティー・オーガナイザーを養成する左翼ネットワークの一部として機能した。ミシェル夫人は夫と共に、シカゴの左翼インナーサークルの一員になっていたのである。
ミシェル夫人はオバマ氏と出会う前から左翼思想に傾斜していた。プリンストン大学時代、「第三世界センター(TWC)」という反米・反白人の左翼学生組織に所属し、理事まで務めた。ニュースサイト「ブレーズ」によると、1983年のTWCの規約にはこう書かれている。ミシェル夫人が理事になったのはこの年だ。
「第三世界という言葉は、世界経済秩序の抑圧と搾取の犠牲となった国々を意味する。この中には米国の有色人種も含まれる。アジア系、黒人、メキシコ系、アメリカインディアン、ハワイ原住民は残忍で人種差別的経済構造の犠牲者となってきた」
国内外の有色人種を抑圧・搾取する白人中心の米国を敵視する組織だったことが分かる。TWCは著名な反米主義者やマルクス主義者らの講演会を学内で積極的に開いた。
「センターでミシェルに会わない日はなかった」。当時のTWC責任者がこう語るほど、ミシェル夫人はTWCの活動に熱心に取り組んでいた。
ハーバード大学ロースクール進学後も、黒人学生組織に所属し、非白人・女性教授が少ないことを人種差別だと抗議する運動に取り組んだ。
2008年2月、オバマ氏がヒラリー・クリントン氏との民主党大統領候補指名争いで優位に立ったことを受け、ミシェル夫人はウィスコンシン州でのスピーチでこう発言した。
「大人になって初めてこの国を誇りに思う」
これはミシェル夫人の愛国心に疑問を抱かせる発言として波紋を広げたが、米国を人種差別国家と敵視する学生組織に所属していた過去を考えると、本心から出た言葉だろう。米国が黒人大統領を受け入れる用意があるのを見るまで、本当に米国を誇りに思ったことがなかったに違いない。
現在のミシェル夫人は、政治に極力関与しない「良き妻、良き母」のイメージが強い。だが、ミシェル夫人にも過激な過去があったのである。
(ワシントン・早川俊行)