腹心ジャレット氏 左翼思想のルーツに共通点
再考 オバマの世界観(16)
オバマ米大統領は1991年にハーバード大学ロースクールを修了した後、コミュニティー・オーガナイザーとして3年間働いたシカゴに戻る。生まれ故郷のハワイから遠く離れ、家族や親戚のいないシカゴを「第2の故郷」に選んだのはなぜなのか。
それは、左翼活動家のネットワークを通じてキャリアを積み上げていく将来像を描いたからだ。実際、オバマ氏はシカゴの左翼人脈・組織を土台に政治家として台頭していった。
そのシカゴでオバマ氏は価値観を共有し、公私両面で同氏を支える2人の「女性同志」と出会う。その女性とは、バレリー・ジャレット大統領上級顧問とミシェル・オバマ夫人だ。
「私は彼女を完全に信頼している。彼女は家族だ」――。シカゴ時代以来のインナーサークルの中でも、オバマ氏にこう言わしめる特別な存在がジャレット氏である。ミシェル夫人からも「母親、姉のような存在」と慕われる。これに対し、ジャレット氏も「大統領と私は以心伝心の関係。彼がやりたいことが私がやりたいことだ」と、堂々と言い切る。
オバマ氏がシカゴ市長の副首席補佐官だったジャレット氏と知り合ったのは91年のことだ。当時、弁護士だったミシェル夫人がジャレット氏と知り合いになり、婚約者のオバマ氏を紹介したのがきっかけだ。
ニューヨーカー誌のデービッド・レムニック氏の著書「ブリッジ」によると、レストランで夕食を共にしたオバマ氏とジャレット氏は、米国は世界で特別な存在ではないとの見方で一致する。米国が世界をリードする責任を持った例外的な国だとする「例外主義」を否定するリベラルな世界観で共鳴したことがうかがえる。
オバマ氏とともにホワイトハウス入りしたジャレット氏は、大統領夫妻との緊密な関係をバックに絶大な影響力を握る。オバマ氏が下す「重要な決断のほぼ全て」(ワシントン・ポスト紙)に関与していると言われるほどだ。
大統領として未熟なオバマ氏の実像を描いた「アマチュア」の著者エドワード・クライン氏は、「オバマ氏の政権運営の特徴である無能力と素人ぶりは、ジャレット氏に大きな責任がある」と断じる。クライン氏によると、オバマ氏に現実的な助言をするスタッフの意見を無視させ、医療保険制度改革(オバマケア)など強い反発を招くリベラルな政策を推し進めさせたのが、ジャレット氏だという。
ジャレット氏が関与するのは内政だけでない。全く経験のない外交・安全保障政策にも口出ししている。本来は省庁間の調整機関であるホワイトハウスが対外政策に過剰介入することに、国務・国防両省から強い不満が出ているが、ジャレット氏の存在が影響していることは間違いない。
一方、オバマ氏とジャレット氏の左翼イデオロギーのルーツには、驚くべき共通点がある。ポール・ケンゴア・グローブシティ大学教授によると、ジャレット氏の義理の父でジャーナリストだったバーノン・ジャレット氏は1940年代、オバマ氏がハワイ時代に師と仰いだ共産主義者のフランク・マーシャル・デービス氏とともに、共産党が支配するシカゴの労働組合の役員を務めていた。
ジャレット氏の母方の祖父ロバート・テイラー氏もまた、デービス氏と共に、議会から「最も悪名高い共産党フロント組織の一つ」と警戒された「米国平和動員」という団体の活動に関与していたのである。
(ワシントン・早川俊行)