NYで出会った「天職」 草の根で米の左傾化を決意
再考 オバマの世界観(10)
オバマ米大統領は、西海岸ロサンゼルスのオクシデンタル大学で2年間過ごした後、1981年にアイビーリーグ(東部の名門私立8大学)の一つ、ニューヨーク・マンハッタンのコロンビア大学に編入し、その2年後に同大学を卒業している。
オバマ氏はニューヨークでどのような生活を送っていたのか。同級生の証言は少なく、最も謎に包まれた時代だが、自叙伝「私の父からの夢」には、同じマンハッタンの私立大学クーパーユニオンで開かれた「社会主義者会議」に参加したとの記述がある。
ごく簡潔に書かれたこの一節は、オバマ氏の思想を理解する上で、極めて重要な手掛かりといえる。綿密な文献調査を通じてオバマ氏の過激な過去を浮き彫りにした「ラディカル・イン・チーフ」の著者、スタンリー・カーツ「倫理・公共政策センター」上級研究員はこう断言する。
「オバマ氏は社会主義者会議に参加して人生が一変した。この会議で天職を見つけたのだ」
オバマ氏が見つけた「天職」とは何か。それはシカゴで85年から3年間務めた「コミュニティー・オーガナイザー(CO)」である。COというと、地域住民のために奉仕するボランティアのような漠然とした印象を受けるが、実態は労働者や貧困層、マイノリティーらをオルグする左翼の職業活動家だ。
カーツ氏によると、米国の社会主義者たちは80年代までに、下火になっていた左翼運動を再活性化するため、性急な革命で社会主義国家を樹立する理想を放棄し、地域住民をオルグして漸進的かつ密(ひそ)かに米国を社会主義化していく「草の根戦略」を採用した。その実働部隊として注目されたのがCOだった。オバマ氏が参加した社会主義者会議では、こうした草の根戦略やCOが果たす役割の重要性が強調されたという。
「チェンジ(変革)は上から来ない。変革は動員された草の根から来るのだ」
オバマ氏は自叙伝で、当時のレーガン大統領とその手下たちの「卑劣な行為」に染まるホワイトハウスなどに変革をもたらすために、COになることを決意したと述べている。草の根戦略で米国を左傾化させる社会主義者のビジョンに強く共鳴していたことがうかがえる。
オバマ氏がCOの道を選んだもう一つの理由は、当時、新たな社会主義運動のリーダーとなるべき存在は黒人であると認識されていたことだ。白人の母親と祖父母に育てられ、黒人としてのアイデンティティーを探し求めていたオバマ氏は、60年代に黒人が繰り広げた公民権運動に強い憧れを抱いていた。オバマ氏はCOとして黒人をオルグし、米国を左傾化させることを「公民権運動の再来」とみなしたのだ。
オバマ氏は自叙伝で「私は黒人をオーガナイズする。草の根で。変革のために」と、COになる決意をしたことを誇らしげに書いている。オバマ氏にとって、COはイデオロギーとアイデンティティーの両面で「天職」だったのである。
ちなみに、オバマ氏が天職と出会った83年の社会主義者会議は、奇遇にもカール・マルクス没後100年を記念して開催されたものだった。自叙伝では会議の単語が複数形になっており、カーツ氏は84、85年の会議にも参加した可能性が高いと指摘する。
オバマ氏のCOとしての過去は、安い給料で社会的弱者のために汗を流した美談として語られるが、その背後には米国を左傾化させる過激なビジョンがあったのである。
(ワシントン・早川俊行)