風変わりな祖父 娘と孫に過激教育受けさせる

再考 オバマの世界観(7)

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1980年代前半、ニューヨークで母方の祖父母と記念撮影するオバマ氏(UPI)

 オバマ米大統領が小学生の時、共産主義者のフランク・マーシャル・デービス氏を紹介したのは、母方の祖父スタンリー・アーマー・ダナム氏だった。ダナム氏は風変わりな人物だったというのが専らの評価だ。デービス氏とは以前から仲が良く、一緒にマリファナを吸っていたという。

 カンザス州出身のダナム氏は1940年に、4歳年下で当時まだ高校生だったマデリン・ペインさんと結婚。第二次世界大戦中の42年に陸軍に入隊し、欧州戦線に投入される。同年、2人の間に女の子が生まれる。オバマ氏の母アン氏である。

 アン氏の本名はスタンリー・アン・ダナム。男の子が欲しかったダナム氏は自分と同じ名前を娘に付けたのである。シカゴ・トリビューン紙によると、アン氏は学生時代、父親の自己満足で男の名前を付けられたことをひどく嫌っていた。

 ダナム氏は落ち着きのない性格で、一家はさまざまな場所に移り住んだ。55年にシアトルに住み始めるが、翌年、シアトル近郊のマーサーアイランドに引っ越す。理由は娘をそこの高校に通わせるためだった。

 当時、マーサーアイランドでは教育委員長をめぐり騒動が起きていた。米議会の公聴会に召喚された教育委員長が共産党員だったことを認めたのだ。地元では委員長辞任を求める声が強まる中、逆にダナム一家は引き付けられるかのようにマーサーアイランドに移り住んだ。

 ダナム氏がわざわざ、元共産党員が教育委員長を務める学区に娘を通わせた事実を知ると、オバマ氏にデービス氏の指導を受けさせたことも合点がいく。

 「生徒たちに共産党宣言を読ませ、父兄を逆上させた」

 アン氏が通った高校の哲学教師だったジム・ウィクターマン氏は、シカゴ・トリビューン紙に授業でマルクス主義を教えたことを明らかにしている。アン氏の同級生によると、こうした過激な教育の結果、生徒たちの間では、宗教や政治、親に対する懐疑的な見方が浸透したという。

 ウィクターマン氏は当時のアン氏について、シアトル・タイムズ紙に「彼女は高校生になってさまざまなことに疑問を抱いた。『民主主義や資本主義はどこがいいの?』『共産主義は何が悪くて何がいいの?』と。彼女には探求心があった」と述べている。

 シカゴ・トリビューン紙によると、同級生もアン氏は「標準的な女の子ではなかった」と証言する。無神論者を自認し、挑戦的で議論好き、他の生徒よりも知的に成熟していた。放課後、喫茶店でアン氏と長時間語り合ったというチップ・ウォール氏は、アン氏を共産党シンパの意味を持つ「フェロー・トラベラー」と表現している。

 また、ダナム一家は当時、「丘の上の小さな赤い教会」と呼ばれるほど左傾化したユニテリアン教会に通った。この教会では「ダナム氏が信奉し、娘に引き継いだ懐疑主義が歓迎された」(同紙)。

 こうした家庭、教育、社会環境で育ったアン氏は、親を軽蔑し、宗教を嫌い、米国を批判する反体制的な価値観を身に付けた。

 アン氏はマーサーアイランドが気に入り、地元ワシントン大学への進学を希望した。だが、ダナム氏がハワイで新しい仕事を見つけたため、一家は60年、アン氏の高校卒業とともにハワイに移住する。

 同年秋、ハワイ大学に入学したアン氏は、ロシア語のクラスで「バラク・オバマ」という名の20代のケニア人留学生と出会う。そう、オバマ大統領の父親である。

(ワシントン・早川俊行)