「例外主義」への背反 意図的な超大国の地位低下
再考 オバマの世界観(3)
丘の上の輝く町――。1989年1月の退任演説で、米国をこう形容したレーガン元大統領は、米国が自由を求める世界の人々に希望をもたらす偉大な国家であることを誇らしげに強調した。
「丘の上の町」は17世紀、英国から信仰の自由を求めて米大陸に渡ったピューリタンの指導者ジョン・ウィンスロップが、大西洋を航行中の船内で行った説教で新約聖書から引用した言葉だ。人々が見上げる「丘の上の町」のように、ピューリタンが新大陸に築く社会は世界の模範となるべきだ、ウィンスロップはこう説いたのである。
自分たちは神から使命を与えられた特別な人々だという信念は、米国が世界をリードする責任を持った特別な国家と信じる「米国の例外主義」へと発展する。レーガン氏が退任演説で米国を「丘の上の輝く町」と呼んだことは、冷戦勝利の道筋をつくった同氏の対外政策の背後に、例外主義への揺るぎない確信があったことを示すものだ。
レーガン氏に限らず、戦後の歴代大統領は基本的に党派を超えて米国の例外主義を信奉してきた。だが、これを否定、または過去の大統領とは全く異なる解釈をしているのがオバマ大統領だ。2009年にこう語っている。
「イギリス人がイギリスの例外主義を信じ、ギリシャ人がギリシャの例外主義を信じるように、私は米国の例外主義を信じる」
これは米国を含め、どの国も同等だというオバマ氏の世界観を端的に表すものだ。全ての国が例外であるなら、本当に例外的な国は存在しない。米国の例外主義を信じると言いながら、結局は米国の例外性を否定しているのである。
オバマ氏が伝統的な意味の例外主義を信じていないことが、なぜ問題なのか。それはオバマ氏が歴代大統領とは全く異なるプリズムで世界を見ていることを意味するからだ。
米国を特別な国と信じるからこそ、米国が超大国であることは世界の利益だとの信念が生まれる。これに対し、オバマ氏が理想とするのは「米国が超大国の一極世界ではなく多極世界」(リー・エドワーズ・ヘリテージ財団特別研究員)であり、「自己封じ込め」によって超大国の地位を意図的に低下させてきたのは、結局、米国を特別な国と見ていないためだ。
共和党・保守派内では、米国の基本的価値観に背を向けたオバマ氏への不満が渦巻いている。テッド・クルーズ上院議員は大統領選出馬を表明した際、「この国を世界の自由の代弁者、丘の上の輝く町にしたのは米国の例外主義だ」とし、その理念がオバマ氏の下で「我々の手から離れている」と嘆いた。
もっとストレートな表現で、例外主義を否定するオバマ氏を批判したのが、ルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長だ。
「恐ろしいことを言うが、私はオバマ氏が米国を愛しているとは思えない」
この発言は民主党サイドから激しい反発を招いたが、ジュリアーニ氏はこれでもソフトに批判したつもりだろう。本音ではこう言いたかったに違いない。「オバマ氏は反米だ」と。
ジュリアーニ氏はこうも述べている。
「オバマ氏は我々のように愛国心を通じて育てられてこなかった」
オバマ氏の反米的な世界観は、その生い立ちに源流があるという極めて重要な指摘である。
次回からオバマ氏の生い立ちや経歴を通じ、同氏の世界観がどのように形成されたかを探っていく。
(ワシントン・早川俊行)