玉城陣営 「翁長」目立つ各種ビラ
革新色薄め「弔い」前面
「デニってる?」
若者の間で玉城デニーを流行させるために造られた言葉で、SNSで拡散されている。21日夜には、「デニってる?」を合言葉にしたトークイベントが那覇市のライブハウスで開かれた。入場は18歳以上30代以下に限定されたが、約360人規模のライブホールは若者で満員となった。
黒いTシャツを着て軽快な足取りで登壇した玉城は、口でさまざまな音を表現するヒューマンビートボックスを披露。故翁長雄志(たけし)知事の次男で那覇市議の翁長雄治(たけはる)と小気味良いトークを繰り広げた。ラジオDJやロック歌手として活動した経験を生かし、若者との距離を縮める狙いがある。
2月の名護市長選で革新系候補が若者の支持を得られなかった教訓から、玉城陣営は若者対策を重視し、SNSやインターネット戦略にも力を注ぐ。SNSには県内各地を回る写真を載せ積極的に情報発信を行う。若者向けのイベントも数多く開催する。
革新支持者の中には、「若者は元気よくやっているようだけど、支持がこれから広がるのか、見えてこない」という声もあり、選対幹部は上滑りを警戒する。 陣営の主軸である革新政党・団体は、「弔い合戦」に持ち込みたい意図がはっきりしている。選対事務所には、「告示前から『翁長知事の遺志を継いで頑張ってほしい』と励ましの声や期待の電話が届いている」(選対幹部)という。それもあってか、玉城を応援する団体が発行する各種ビラには翁長の2文字が目立ち、玉城の存在はかすみ気味だ。
「かたぶい」(スコール)と呼ばれる亜熱帯独特の通り雨が降った22日、那覇市の公園では数千人を集めて大規模な決起集会が行われた。ここでも弔いムードは続き、開会前には、昨年8月に那覇市で行われた辺野古移設反対集会での翁長のあいさつの映像が流れ、開会宣言の後には集まった全員で1分間の黙祷(もくとう)をささげた。
この日、告示後初めて翁長の妻樹子(みきこ)が大衆の前で口を開いた。「こんなふうに出てくることには躊躇(ちゅうちょ)がありました。でも、翁長が『しょうがないな。みんなで頑張らないといけないから君も頑張って』と言ってくれているようでここに立っています」
指笛が鳴り響くなか現れた玉城は、「翁長知事の遺志」「翁長知事ならば」という言葉を何度も口にした。
告示前にうるま市で開催したライブでも、玉城は隣に翁長の遺影を掲げ、エレキギターを手にロックを奏でた。こうした「弔いムード」に対し、県民からは「まだ喪が明けていないのに、ライブで歌ったり踊ったりまるでお祭り騒ぎ。非常識に感じる」という声もある。
佐喜真が国会議員らから積極的な応援を受けるのに対し、玉城陣営は翁長のやり方を踏襲し、政党色を出さない戦法を取っている。翁長の支持母体でもあった「オール沖縄」の革新色を薄める狙いがある。22日の集会には、共産党書記局長の小池晃、社民党元党首の福島みずほ、立憲民主党幹事長の福山哲郎、同党沖縄県連会長の有田芳生、生活の党の森ゆうこら、革新系国会議員が臨席していた。しかしその中から登壇者はなく、最後の「がんばろう三唱」でも県外の国会議員は壇上に姿を見せなかった。(敬称略)
(沖縄県知事選取材班)