政治家と人間性 NO1に要求される品格


 今の永田町は迫力不足だ。永田町の最大の目標は政権取りの一語に尽きる。相撲の世界では、横綱が取れるほど力がついてくると、本人も自信満々、相撲が俄然(がぜん)面白くなってくる。永田町の現場を見ると、政権を取る力をすでに身につけている政治家も少なくないが、自信も面白さも伝わってこない。足りないのは精神力だ。石にかじりついても政権をモギ取るという気力体力がいささかいい加減だ。

 相撲に例えれば、大きな図体した巨人たちが、目の色を変えて争っているのは星数の計算だ。勝ち越しさえ確保できればそれで万事OKだ。横綱を目指すなどは欲張りすぎだ。身の程を知れとばかりにこぢんまり収まっている。だから規模が小さくなる。

 身の丈6尺を超え、体重30貫を突破するのが昔の力士の理想だった。相撲は大きいのに限る。だから昔の相撲取りはみんな巨人だった。小さくて、小手先の利くだけの相撲取りはあんまり尊敬されないきらいがあった。

 今では小柄であっても、土俵の上でテキパキ動き、大物を奇襲して倒す外道が歓迎される。相撲をお手本通り実演して見せる正統派はかえって邪魔もの扱いだ。今、土俵の上で星の数に血眼の力士たちを見ていると、政権とか総理大臣を連想するものはあまりいない。やっぱり勝った負けたの勝負の世界でしかないと割り切っている。

 相撲を政界と同格に扱うのは間違いと思われるかもしれないが、昔はそうではなかった。この両者は同格扱いだった。どの分野でもその最上級の席に座るほどの人物は、単に強いだけでは通用しなかった。NO1(ナンバーワン)にふさわしい品格が要求された。

 今はそんな七面倒臭いことは誰も言わない。強ければ万事罷(まか)り通る。だから時々不祥事が起きる。強さにも道徳が要求されるのだ。本当に強いだけで他に取りえのないNO1を見ているのは淋(さび)しい限りだ。やはり斯界(しかい)の第一流人物は人徳も実力も第一流であってほしい。

 剣道や柔道の世界でも、腕力だけが評価され、人間性が第二義的に扱われると、とんでもない喜悲劇が発生する。NO1はその世界ではチャンピオンで通るが、人間社会ではそれだけでは不足だ。どの分野でも立派に紳士淑女で通る人物が、本物のチャンピオンでなければならない。

 日本の各地で様々な分野のチャンピオンが続々誕生している。政権を目指すような政治家はその頂点に立つ。それだけに、実力と同時にその人間性の吟味と評価が必要だ。日本ではこの点が欠けている。

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