日本の文化に基づく改憲を
NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之
国民を解体する現条文
安保の前提は繋がりの意識
安倍政権は、中華人民共和国の覇権主義的な拡張政策に対し「安保・防衛の建て直し」に、短期、中期、長期にわたる対応策を立てている。それは、「国家安全保障会議(JNSC)の設置」であり、「集団的自衛権の行使の検討」であり、「日米防衛協力指針(ガイドライン)見直し」であり、「防衛計画の大綱改訂」などだ。その他、従来なされていた日本国憲法をめぐる神学的論争を脱皮し、具体的な課題に取り組もうと動き始めたことは、遅きに失したきらいはあるものの、普通の国になれそうな気がする。
とは言え、安全保障問題というと、軍事・防衛の専門家が直面している「危機的状況」を詳細に分析し、それへの対応策を提言する形をとってきた。こうした専門家の議論を否定するものではないが、安全保障や防衛問題は、一部の政治家と防衛省・自衛隊に任せておけばよい問題であろうか。
もちろん、安全保障問題は仮想敵国をはじめ友好関係にある国々の動向を前提にするため、外務・防衛省や軍事専門家の意見を聴取し、政府が法整備に向けて具体的施策を立案し実行しなければならないといった複雑な背景を包含している。
しかし、経済・貿易問題とは違い、わが国に生まれ育ち、生を営んでいる日本国民全てが「当事者としての意識」をことのほか強く持つべき問題だ。自分が生まれ育った祖国の、さらには自分が所属し運営している家庭や社会の安寧と繁栄は、私という一個人の存在を左右する基本問題なのだ。日本国の命運と無関係な「部外者、傍観者」などはひとりもいないはずだ。
国家と国民とは同義語であるといった「人間として極く当たりまえの自覚」が昭和20年以降、日本人だけが欠落したままなのだ。この状態で、防衛予算を増額して武器弾薬をそろえたところで日本の安全は保障できない。
憲法改正論議をめぐり「国民の国防義務」が叫ばれてはいるが、祖国・日本を安全に存続させ、豊かに繁栄させる「義務」は、特定の専門家に担わせるだけでよいわけはない。現在の日本国民は、日本人としての精神的支柱を失っており、この嘆かわしい現実を直視し、改善を求める声は決して小さくない。
こういった日本人を「普通の人間」に引き戻すために、安倍政権がなすべきことは、是非とも憲法改正に取り組むべきだと言いたい。本来、安倍晋三氏は、自由民主党の党是に従い、憲法改正を最重要課題としてきたはずだ。「経済再生」は、表層的な問題であり「憲法改正」なしに、カネ儲けに走ることは、日本の国を退廃に導くことを再認識してほしい。
第9条だけが憲法問題ではない。アメリカ軍からなる占領軍総司令部(GHQ)が作った日本国憲法の根底に用意された「近代市民思想」が、キリスト教独特の神意識に基づくもので、「日本人独特の人間観」からすると、到底、理解できないものであった。日本人は太古の昔から森羅万象すべてに支えられ、家族、親族、友人と深く結びつきのなかに生を受けて成長し、一生を終えるといった、繋がり・関わり合いを常に実感してきたのだ。
神を意識する思想・哲学を根底に持った現在の憲法の条文は、神を意識しない日本人には、人々の心を混乱させ、生活を乱し、家庭・家族を崩壊させ、社会・国家の運営に支障を来す「危険な憲法」にもなり得る。この「事実」を具体的に解き明かす必要が学者・研究者はもとより、政治家諸氏にもある。
すでに、現憲法条文の様々な文言が、日本人には不可解なものがあるほか、文化、伝統は言うまでもなく現実生活との齟齬(そご)を起こしているとの認識は、多くの日本人が共有するまでに至ったようだ。しかし、「根本的問題」には至らない修正議論は、かえって事態を悪化させてしまう危険があるのだ。
「アトムの離合集散」で物質を説明したように、日本社会や日本国は「個性のない個(アトム)の集合体」ではないのだ。「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条)のではなく、「すべての個人は歴史・文化・伝統を包含した日本国民として尊重される」でなければ、日本人の生活実感には合致しない。繋がり、係わり合いをすべて排除した後に残るアトムとしての個人など個性もなければ価値もない。
「人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(14条)と謳いあげているが、これも、すべて国民を「個」として捉えるといった13条と同じ思想による一文だ。
先にも述べたように、われわれが日常生活で接している「具体的な人間存在」は、誰にも依存せず束縛されない自主・自律の「個人」ではなく、社会的、歴史的な繋がり、係わり合いの中で生まれ育った存在で、それぞれが、その繋がりをさらに大きく豊かなものにするべく努力する存在なのだ。
以上のような「人間観」に立ち返った時に、日本人は「国を愛し祖国を愛する普通の人間」になり、日本は平和で住みやすい国になるのだ。
(くぼた・のぶゆき)





