1票格差と選挙制度に思う

大藏 雄之助評論家 大藏 雄之助

公平なドイツ式併用制

納得いかぬ衆院の比例復活

 昨年11月26日、最高裁大法廷が平成25年の参議院選挙の1票の格差について「違憲状態」と判決した。「当該選挙区の投票無効」の少数意見もあったが、もしもそのような判例が確立されたら、すでに成立している法律が取り消される可能性もあるから、かりに憲法違反であっても選挙そのものは今後とも有効とされるであろう。かと言って、現状を放置することは許されない。

 衆議院の選挙で大多数の有権者にとって何よりも納得のゆかないことは、小選挙区落選者の比例代表による復活当選だろう。惜敗率は各党ごとの順位で決まるから、小選挙区で2位、3位の落選者よりも下位の候補者が比例当選する矛盾さえあり、時には立候補者全員が当選者になることもある。少なくとも公職選挙法第86条第4項重複立候補のバカバカしい規定は早急に廃棄すべきだ。

 改めて述べるまでもなく、すべてを満足させる選挙制度は存在しない。そこで大きく分けると、小選挙区制と比例代表制になる。

 小選挙区制でもっとも徹底しているのはイギリス下院である(アメリカの下院も完全小選挙区制であるが、大統領は全く独立に国民から直接選出される)。この方式では1選挙区で2位以下の候補者に投じられた票は死票となるので、得票率と獲得議席数に乖離(かいり)が生じる。そのために第1党は安定政権を樹立できることが多い。したがって選挙公約は守られる。しかし、与党と主たる野党との間のスウィング層(わが国で「無党派層」と称しているのは適正ではない)が反対に揺れれば政権交代が実現する。そこで二大政党制に傾くと言われる。

 細川内閣が小選挙区制を提唱した際、私は強く反対した。中選挙区制のおかげで自民党の派閥ごとの政権争奪があり、また中間政党が一定の議席を確保する余地があると主張したが、消滅の運命にある民社党も社会党も、「今の選挙制は制度疲労している」というジャーナリズムが作り上げた世論(!)に同調した。比例代表制を並立することで激変を緩和し、他方で同一選挙区内の立候補者のどちらを向いているかわからない発言を利用して自民党はいつでも政策を変更することができなくなる、などという解説は、政党助成金の導入とともに、政治の方向を誤らせるものだった。その上に、小選挙区制のメリットの一つである、議員の死亡や引退の場合、直ちに補欠選挙を行って世間の風向きを把握するはずのところ、費用軽減のために半年ごとにまとめて補欠選挙をするとの、またしても愚かな決定がなされた。

 これに対して比例代表制では死票は少ないが、そのデメリットは、地域有権者との結びつきが薄く、また絶対多数を占める政党が出現する機会が少ないので、中道的政党を中心に常に連立政権となり、選挙しても毎回代わり映えせず、公約は曖昧となることである。しかしながら、何が一番大事かと言えば、国民の意見が広く政治に反映されることではないだろうか。

 この点を考慮して工夫を凝らしたものが、ドイツ連邦議会の「小選挙区比例代表併用制」だと思う。これはわが国の「小選挙区比例代表並立制」とは異なり、基本は比例制である。以下に分かり易く説明しよう。

 今議員定数を100とすると、その半数の50を小選挙区にふりあて、その当選者50人が議員となる。その時、立候補者全員に投じられた票数に従って党派ごとの獲得議席が決まるが、獲得票数が5%以下の政党は「足切り」により議席がわりあてられない。そこで、例えばA党が全体の60%を得ていれば、獲得議席数は当然60である。A党が小選挙区で35人の当選者を出していれば、それを60から差し引いて、残りの25人が比例代表の名簿から当選者が出る。同じ選挙でB党が10%獲得していれば、当選議員数は本来10だが、もしも小選挙区で15人の当選者を出していれば、5人を超過定員とする(つまり、議員定数を今回に限り105とする)。慣例上こうしたことは珍しい。大物政治家は小選挙区で選挙運動をする機会に恵まれず、たいてい比例代表順位表の上位で連邦議会に出ている。私はこの方式が最も公平だと考えているが、日本ですぐに国民にこれを普及させるのは難しいだろう。

 議院内閣制の点で日本に似ているイギリスでは下院(庶民院)が圧倒的に優位であり、上院(貴族院)は制限付きで補完機能を果たしている。わが国は参議院が強すぎる上に、議員の選出までが基本的に同じであるから、二院制の妙味を発揮できていない。衆議院を完全小選挙区制とし、大幅に権能を縮小した参議院を全国一区の比例代表制とするのは一案だろう。

 順位制投票小選挙区制も考えられる。あらかじめ候補者の氏名を全部印刷して、順位を記入する欄を設けておき、オリンピック開催地決定方式で最下位を削除し、その候補者の第2希望を残りの候補者に振り分ける手続き反復で最終多数票獲得者を当選とする。こうすれば選挙民多数の考えに近い候補者が選ばれる可能性が高い。コンピューターが発達した現在ではこの種の集計は簡単だ。

 最後に、棄権は危険か。推奨できることではないが、それもまた意思表示の一つ。思想・表現の自由のない国の投票率は高いが、それは民意を反映するものではない。

(おおくら・ゆうのすけ)