歌を忘れたカナリア 真剣な議論忘れた与野党


 今の永田町はすっかり成熟してしまった。静かなること林の如しだ。しかし政治は与党と野党の決戦の側面を持つ。争いはなくてはならない。

 ところが与党と野党も歌を忘れたカナリヤの如く争うことをまるで忘れてしまった。何か与野党間で問題が起きるとすぐ話し合いだ。話し合いが悪いというのではない。しかし話し合いだけで事をまとめるには中途半端のそしりを招く。とにかく事を解決するためにはトコトン話し合わなくてはならない。口角泡を飛ばしながら激論を重ね、それでも折り合いがつかず腕力沙汰に発展することもある。それが議論というものだ。

 腕ずくで決めた問題はそれなりのメリットがある。思い及ぶ限りの問題点を取り上げ、その一つ一つに与野党が賛否を戦わせる。歩み寄れるものは歩み寄る。そうでなければ決裂を辞さない。

 あとになって問題が生じる。そうなるとやり直しだ。その後になってあの時片付けておけばよかったと後悔しても後の祭りだ。時間的ロスも大きいし人智体力のムダ遣いも無視できない。

 もう一つの悪いクセは先送りだ。何でも都合が悪くなると先送りしてしまう。後になって与野党の当事者が地団駄踏んでも追いつかない。こんな例は永田町に山ほどある。

 首相官邸に幽霊が出る。こんな噂が昔からあった。時の首相はじめ政府の高官大官がここでテロに襲われあたら命を落とした悲劇は今に伝えられている。その無念さがそうさせているのかも知れない。これも途中の議論抜きで、いきなり結論を出す永田町の自慢にならない名物のひとつだ。

 日本の民主政治はこれだけの犠牲を払っている。それにもかかわらず、永田町でその愚かさが繰り返されているとは情けない。日本人は議論好きだが、議論下手だ。折角議論に持ち込んでも途中でケンカ沙汰になり、ケンカ以前より状況が悪化するのが当然の帰結だ。

 こんな損な話はない。やがて秋の臨時国会が始まる。いよいよ言論の府の見識と力の見せどころだ。時はよし、争点に不足はない。国民は言論の威力と意義をたっぷり味わいたいと期待している。ここでまた意味のない饒舌のやり取りに終始するなら国民の失望は限りなく増大する。日本の民主政治に致命的な打撃をもたらさないではおかない。

 いつもの秋の臨時国会と思わず、与野党ともに、特別に真剣な意見交換を望むや切だ。

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