辺野古反対運動の同調圧力

星 雅彦詩人・美術評論家・沖縄県文化協会顧問 星 雅彦

沖縄2紙で事大主義に

抑止力働く米軍基地の存在

 明治政府の近代化に伴う「琉球処分」に搦(から)めて、最近の沖縄では「沖縄処分」という表現がうそぶき、それで痛烈に日本政府を批判し揶揄(やゆ)する状況に至っている。

 果たして「沖縄処分」が現実に合致した用語であるのかどうか。ともかく翁長雄志沖縄県知事が辺野古移設反対を唱えてからおよそ1年になる。その反対運動には多くの支援団体を盛り上げるメディアの力量発揮によって、米軍基地を嫌悪する背景作りにもなっている。

 沖縄の米軍基地問題と大衆運動としての基地撤去闘争は、米軍のかつての強制接収に対しての怒りと反発が根強い根拠となっている。

 翻って、1950年代初期に米軍は共産化した中国の動きを懸念して、基地建設ブームを起こし、つぎつぎと沖縄本島各地に本格的な基地建設を始めた。それに伴う住民との抗争も少なくなかった。

 象徴的な事件は、51年3月11日に宜野湾市の伊佐浜の土地接収のとき、米軍は住民の反対運動を排除するために、武装兵とブルドーザーを出動させた。それでも住民は座り込みで抵抗した。大勢の支援団体とともに頑張ったが、多数の負傷者を出して結局、伊佐浜地区は強制接収された。その後、住居を失った住民10家族はブラジルへ移民した。

 68年11月に米戦略爆撃機B52墜落事故があった。69年には毒ガス撤去運動。1970年12月20日未明、米兵の車70台を燃やしたコザ騒動があった。そのころ「復帰運動」とともに「安保廃棄」「軍事基地撤去」のスローガンのもとに反対運動が繰り返し展開された。

 かくて米軍と住民との摩擦事件は、その他にもあったが、しかし半面、米軍施政下で住民は苦難だけを舐めたわけではない。米軍の援助で伝統芸能を奨励し、琉球大学が設立され、留学制度が設けられた。精神面の充足感も味わう機会がたびたびあった。例えば琉米文化会館での活動行事、米婦人たちとの勉強会など。基地内での多様なパーティーや文化祭、ジャズ演奏会など底ぬけに明るい文化交流があった。それでアメリカナイズされた生活内容の変化を来し、戦後のウチナーンチュは自ら気付かないうちに物心両面、アメリカ文化の影響を受けたのである。

 まぎれもなく米軍基地はほとんど強制的に設立されたことは否めない。しかし、たとえば辺野古の住民は最初から基地を容認している。また日本政府は、米軍に日本国の防衛を委任代行させるという計算された対策があったようだ。基地の存在はマイナスばかりとは言えないのだ。

 今回の日本政府による辺野古への基地移設の進め方は、反対運動のせいもあるが非常に慎重だ。翁長知事は共産党や革新団体のバックに支えられて、強引にワシントンへ乗り出して説得訪問をした。さらにスイス・ジュネーブに飛んで国連人権理事会で沖縄県民が差別的に自己決定権や人権がないがしろにされていると、2分間のスピーチで訴えてきたのである。すなわち自決権を無視されていると一種の告発をしたが、日本政府への沖縄側の異議申し立ては執拗であった。にも拘わらず、翁長知事の訴えがどれほど功を奏したかは、疑問だし判断しかねる。

 その結果、沖縄内部での報告は、手前味噌的な内容でもあり、これまで同様に沖縄側の日本政府に対する限りない不満と基地反対の意見を世界に広めたようだ。また連日、批判の渦を作って、沖縄2紙(沖縄タイムス、琉球新報)は狂ったように反対運動を巻き起こしている。紙面には驚くほど大きな活字が踊り、翁長知事の強固な発言とともに、繰り返しその不屈頑固な面構えの顔写真が登場する。さらに上乗せして、内外の百人余りの賛同する著名な学者や作家やジャーナリストたちのコメントと論文が次々と掲載された。

 そこで大方説得を受けて、読者は感銘せざるを得ないだろう。ところが、一部の読者の感受性には変化が出てきたらしい。膨大な同一性の集団的な意見の広がりを集約すると、いつしか意識が乖離(かいり)して、哲学的、政治的、その他の理論を超越して、思いなしか別な形になった感じなのである。それらから全体主義的な空気を感じさせるのだ。そこには、全体主義やファシズムと言えば政府に向けられていたものだが、いつしか逆転した形で、いきおい新左翼の中心に向けられているようなのだ。

 つまり、民衆は多くの論説から圧力を受けて伝染病にかかったように喧伝に押し流され、まるで事大主義に陥っているように見受けられる。一種の同調圧力である。

 世界が不穏な真っただ中にあるこの現代に、沖縄が「国と対立」して法廷闘争に突入するところにきている。実際の日本人の大多数は、平和と安全のためには在日米軍基地が必要だと考えていて、安保支持者は8割余りいるという。沖縄の知識人の多くは、屈辱を唱え、日米安保不支持者であり、辺野古移設にがむしゃらに反対しているのが現状である。

 さて、もし外国から日本が攻撃を受けたらどうなるのか?――日米合意に基づく辺野古基地移設の計画が、現代に見合った有能なものになれば、たとえ外敵の攻撃がなくても、抑止力を充分に発揮するにちがいないと思うのである。

(ほし・まさひこ)