沖縄の復帰を知らない若者
反省すべきは大人たち
イデオロギーで歴史を解釈
今年も5月15日がやって来た。
1972年(昭和47年)5月15日は沖縄が日本に復帰した日である。昭和30年代以前に沖縄に生まれた者にとっては、様々な意味で感慨深い日であり、忘れることはない。
毎年5月15日が近づくと、「最近の若者は5・15を知らない。嘆かわしい」という内容の新聞記事などをよく見かけるようになった。沖縄の新聞でも、沖縄の復帰の日を正しく答えることができた高校生が12%しかいなかったことを報じ、「識者」がそれを嘆いている。
沖縄の日本復帰の年から7年後に大学生となった私たちは、「最近の学生は4・28も知らないのか」と大学の先生方にずいぶんと呆(あき)れられたことをよく覚えている。4・28とはもちろん、1952年(昭和27年)4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約のことである。
「こんな大切なことも知らないのか」という言われ方には、「自分が生まれる8年も前のことなんか知るものか」とずいぶん反発したものだった。「年寄りには昨日の出来事であったように感じるかもしれないが、自分たちにとっては生まれる前の『歴史』でしかない」と。
だから私は、5・15を知らない沖縄の若者たちを嘆くことはしない。私たちだって同じだったのだ。しかも、サンフランシスコ講和条約は私たちが生まれる8年前だが、日本復帰は今年現役で大学入学した学生が生まれる24年前、17歳の高校2年生が生まれる26年も前のことだ。ちなみに、私が生まれる15年前の沖縄戦ですら、日本の高度経済成長と共に育ち、皆が貧しかった時代を経験していない世代にとっては、遠い過去の「歴史」のようだったから、ましてや、生まれる24年前の二・二六事件などは、まさに、「教科書で見た」もの以上ではない。
もし、「若者が歴史を知らない」ことを憂うのならば、反省すべきは若者ではなく、それを伝えることができない大人たちだと思う。若者たちに伝わる言葉と力をもたない私たちこそが責任を問われるべきだ。
だから、私は、大学生の頃に感じた違和感、「大人たちの勝手な感傷のための材料として我々若者を利用しないでほしい」という微(かす)かな嫌悪感は正しかったと今でも思っている。それは、自らの怠惰を若者に転嫁しているだけのことなのだ。
もちろん、当時の私たちにも「歴史を知らない」という後ろめたさは確かにあったから、その後歴史関係の本を読むようにもなった者もいる。しかし、それはむしろ例外的であり、多くの若者は、嘆く大人たちに反感を覚え、ますます歴史への興味を失っていくように私には見えた。
ところで、米軍統治下の沖縄県民は、なぜ「日本復帰」を選択し、復帰闘争とよばれる激しい運動を根気強く続けることができたのだろうか。
復帰後中学生になった私たちが教えられたのは、復帰前の「日本人としての教育」とは逆の「戦前戦中の日本はいかに悪い国だったか」という内容であった。しかし、戦前の日本が「悪い国」であり、その中で沖縄県民が差別を受けてきたのならば、ではなぜ、沖縄の独立運動ではなく、日本への復帰だったのか。「4・28を知らない」と嘆かれた私たちには理解が難しかった。しかも、大人(高校や大学の先生)たちは、4月28日を「屈辱の日」だと言い、日本のことを「祖国」と呼んでいたのだ。復帰運動も「祖国復帰運動」と記されることが多かった。
私が質問をすると、多くの先生たちが「それだけ米軍の統治が酷(ひど)かったし独立するだけの経済力もないから日本に復帰するしかなかった」と答えたが、それは到底納得できる説明ではない。沖縄はかつて琉球王国という独立国であったが、その頃の人口は現在の5分の1以下でしかなかったし、沖縄県より面積も人口も少ない国は珍しくない。
もし、戦前期がそんなに酷い時代であったのなら、正式に日本と切り離されたことが、なぜ「屈辱」なのか、なぜ「祖国」と呼ぶのか。
なによりも、小学生の頃に体験し感じた、あの「祖国復帰運動」の大きなエネルギーは何だったのか。「選択肢がなかった」という消極的な理由で、あの大きな運動が起き長期にわたって継続するものなのだろうか。
それらを説明するためには、復帰運動がどういうものであったのかについて、もっと我々は知らなくてはならないし、戦中はともかく、明治・大正時代の沖縄が、本当に暗く辛いことばかりであったのかについて学ぶ必要がある。
近年、「復帰は必ずしも沖縄県民が望んでいたことではなかった」とする主張がますます目立つようになってきた。多くの県民が復帰直後の一時期に失望したことは確かではある。しかし、日本への復帰を沖縄県民が自ら選択したという事実を覆すことはできない。
主張(イデオロギー)がまず先にあり、その後に「歴史的事実」を自らの都合のよいように解釈し組み立てていく。そういう大人たちが増えたからこそ、若者は歴史に興味をもたなくなり、5月15日が何の日か知らなくても恥じないのである。責任はそういう大人たちにあるのではないか。
(みやぎ・よしひこ)






