6日戦争とジョンソン大統領

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

強力にイスラエル支援

親シオニストの福音派信仰

 ケネディ暗殺の直後、副大統領から大統領に昇格したジョンソンのもとを、不安に満ちた表情のイスラエル外交団が訪れていた。このとき、ジョンソンは彼らに向かって「あなた方は偉大な友を失ってしまいましたね。けれど私があなた方のより良い友になりますよ」と語り励ましたという逸話が伝わっている。イスラエルを支援しながら公然たる同盟に踏み切れなかったケネディに対し、今日に至るまで続く強固な米・イスラエル間の戦略的提携関係の基礎を構築したのがジョンソンであった。次にその姿をみてみよう。

 ジョンソンがケネディと比べ、イスラエルにより友好的だったという評価は援助金額の比較によっても明らかだ。ケネディ政権最後の会計年度、米政府がイスラエルへ支給する援助金は4000万㌦だったが、ジョンソン政権最初の会計年度(1965年)には7100万㌦に増大し、翌66年には1億3000万㌦へと跳ね上がっているからだ。

 金額のみならず使用用途にも便宜が図られた。ケネディ政権期、援助金は経済目的にその使用が限定されていたが、ジョンソンは総額の7割まで軍事目的への使用を許可したのであった。

 イスラエルが国の存亡を懸けて戦った六日戦争。ここでもジョンソン政権の応援姿勢を見て取ることができる。緒戦の大勝で勢いづくイスラエル軍がシリアの首都へ侵攻の構えをみせた時、シリアの後ろ楯、ソ連が脅しをかけてきたのだ。侵攻を思い留まらねばソ連が武力介入するというのだ。

 ジョンソンはこれに怯(ひる)まず3隻の空母を含む米第6艦隊を急遽(きゅうきょ)シリア沿岸の東地中海へ出動させた。脅しに屈せぬジョンソンの強硬姿勢の前に結局ソ連は矛をおさめたのだ。ジョンソンはソ連の軍事介入を阻止することでイスラエルの戦争遂行を手助けしたわけだ。また戦後処理を巡る交渉においてもジョンソンはイスラエルの立場を代弁。開戦以前の国境までイスラエル軍の即時撤退を求めるソ連首相コスイギンの要求を斥(しりぞ)けたのである。

 戦後、ソ連は大敗したエジプト空軍の立て直しを図るべく新型ミグ戦闘機の供与を開始した。対抗上、イスラエル空軍が切望したのが超音速の米製最新鋭戦闘機F4ファントムの購入であった。米政権内にはこの売却は核不拡散条約への調印と抱き合わせにすべしとの意見も強かった。しかし、寛大なジョンソンはこの意見を退け、68年に50機のファントム売却を許可したのであった。

 この報に接した米ユダヤ社会の重鎮クラズニクは今回の売却はアメリカがイスラエルを中東でのソ連勢力に対抗する防衛上のパートナーとして認めたことの証であると声明を発した。この一件は、イスラエルにとり史上最高額の兵器購入となり、同時にそれは米ジョンソン政権がイスラエルの強力な後ろ楯であることを世界に向けて示すものとなったのである。

 ジョンソンのイスラエル贔屓(びいき)は高度濃縮核物質が米政府の備蓄施設から盗み出された事件でも確認できる。状況証拠から容疑者はモサド工作員でナチ戦犯アイヒマンの身柄を拉致し、イスラエルで司法の裁きを受けさせたことでも有名なラフィ・エイタンと推定された。事件の第一報に接したジョンソンが発した言葉に米CIA長官は耳を疑った。

 「誰にも言うな。特にラスクとマクナマラにはな」という発言だった。国務長官ラスクと国防長官マクナマラはアメリカの国益を追求するあまり、イスラエルに厳しい米高官として有名だったからだ。ジョンソンはこの施設を閉鎖してしまい、残りの核物質は余所へ移し、本件を追及することなく、うやむやにしてしまった。米・イスラエルの蜜月関係に亀裂を生じさせぬための苦肉の策であったといえよう。

 ユダヤ人有権者が稀薄なテキサス州農村部を地盤とするジョンソンが折り紙付きの親イスラエル派に育った背景には同州で幾多の信徒を擁するキリスト教福音派の影響が考えられる。親族の中にも信徒は多かった。そうしたひとり、祖父サミュエルは幼いジョンソンに「良きキリスト者はユダヤ人のエルサレム帰還を助けることで神の恩寵(おんちょう)をうくるのである」と教えた。またキリスト教シオニストとして「アメリカ・シオニスト機構」の会員でもあった叔母ジェシカは「決してイスラエルに背いてはなりません。何故ならイスラエルという国は神がユダヤ人に与えた国だからです」と彼に語っている。こうした教説はジョンソン少年の脳裏にしっかりと刻み込まれていったと思われる。

 今ひとつはケネディと比べるとより親密なユダヤ人たちとの結びつきを昔から持ち、政界入りの当初から様々なユダヤ人脈に助けられてきた点であろう。48年、彼の上院当選を助けた選挙参謀フォータスはその代表だ。

 使命感あふれるシオニストの法曹、フォータスはジョンソンの長い政治家人生を通じ、献身的な後援者であり続けた。助力に感謝したジョンソンは65年に空席が生じた連邦最高裁判事職にフォータスを任命したほどだ。その後もフォータスは大統領とイスラエル外交団とを結ぶ連絡係を務めたのであった。

(さとう・ただゆき)