「沖縄県祖国復帰43周年記念大会」、宜野湾市で開催
国防最前線としての誇りを
沖縄県が日本復帰を果たした5月15日の復帰の日を祝う「沖縄県祖国復帰43周年記念大会」(主催・同実行委員会)が17日、宜野湾(ぎのわん)市で開催され、県民約500人が集まった。沖縄県は復帰後、国防の要石としての役割を果たしていることを再認識した。(那覇支局・豊田 剛)
県と国は共に歩むもの、離島では根強い保守支持
昨年12月に翁長雄志(おながたけし)知事が就任して以来、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対ばかりが目立ち、「仕事の8、9割が基地」(翁長知事)というほど県政は辺野古移設阻止に奔走している。
それとは対照的に、祖国復帰記念大会では、参加者の多くが本土と調和することの重要性、沖縄の国防に果たす役割、憲法改正に言及した。
大会実行委員長の中地昌平・日本会議沖縄県本部特別顧問は、「中国では『沖縄も中国領』という考えが強く、国営テレビは国内世論を扇動している」と述べた上で、「目の前にある米軍基地は安全保障上の必要性から沖縄に存在する。沖縄が東アジアの中心に位置しなければ、県土の約1割を米軍基地が占めることはなかった」と説明した。
来賓あいさつした西銘恒三郎衆院議員(自民)は、北方領土をいまだにロシアが占領していることについて、「沖縄が万が一、同じような状況だったらどうだろうか」と考えれば「自ずと祖国復帰は評価すべきだ」と強調した。
宮崎政久衆院議員(自民)は、「県と国は対立するものではなく一緒に歩んでいくもの」で、「民族対立をあおる言説は誰の利益にもならない。感情的な対立が物事を解決したことはない」と述べ、翁長県政を批判した。
島尻安伊子参院議員(自民)も同様に、国益と県益は本来は一致すべきだと訴えた。
このほか、佐喜真淳宜野湾市長、復帰後に生まれた青年世代を代表して我那覇真子氏(琉球新報と沖縄タイムスを正す県民・国民の会代表)、教員として復帰運動に携わった元中学校教員の上原義雄氏が登壇。上原氏は、昨年の沖縄の観光客数が過去最高の700万人を記録したのは「沖縄が安全だから。そして、安全なのは米軍基地があるからだ」と訴えた。
大会の後半は、「激論!防衛、基地、教育、憲法、沖縄のタブーを破る」と題するシンポジウムが開かれ、沖縄に先駆けて1968年6月26日に日本に復帰した小笠原村議会(東京)から高橋研史前議員、米海軍基地がある山口県岩国市議会の石本崇議員、国防最前線の島の石垣市からは砥板芳行市議と玉津博克前教育長、さらに、歴史家を代表して沖縄公共政策研究所主任研究員の玉城有一朗氏が登壇、花城大輔県議がコーディネーターを務めた。
小笠原村は日本の排他的経済水域の約3割を占めるにもかかわらず防衛が手薄であることに危機感を抱いた村議会は昨年、全会一致で憲法改正の早期実現を求める意見書を採択した。13年に制定された「小笠原村日本復帰記念の日を定める条例」の提出者でもある高橋前議員は、昨年の中国漁船によるサンゴ密漁は実際は“強奪”で、村の人口に匹敵する中国人が沖合に押し寄せている光景を目の当たりにし、「今の憲法では侵略されてすぐ犠牲になるのは離島民だ」と悲痛な訴えをした。
普天間飛行場の空中給油機KC130の岩国基地移転が完了、厚木基地の空母艦載機が移転すれば岩国基地が極東最大の米軍基地になる。石本議員は、山口県出身の佐藤栄作元首相が沖縄復帰前に述べた「私たち国民は沖縄90万(当時の人口)の皆さんのことを片時たりとも忘れたことはありません」という気持ちは今も同じだと訴えた。
砥板議員は沖縄県知事選後の沖縄の政治情勢を解説した。石垣島など離島地域では、昨年11月の知事選と12月の衆院選で保守系候補の得票数が上回ったことに触れ、「『本土と沖縄のねじれ』なのではなく、実は『沖縄本島と39の有人島とのねじれ』。翁長知事は沖縄本島のみを考えて『オール沖縄』と言っている」と指摘した。
引き続き砥板議員は、仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事は「離島の発展なくして沖縄の発展はない」と、2017年開院予定の県立八重山病院の整備、新石垣空港の完成(13年)など具体的な振興策を実施したことに比べ、翁長氏は就任して半年の間、石垣で「辺野古移設反対は述べたが離島振興については一言もない」と述べ、翁長氏の政治姿勢を批判した。
また、11年、中学校の公民教科書採択で批判の矢面に立たされた玉津氏は、教科書選定の決め手となったのは「領土問題がしっかり書かれていること」とし、領土問題は日本全体の問題と受け止めてほしいと訴えた。「沖縄県民の誇りは日本人であること。さらに、日本の血統、文化と風習がしっかり入っていること」と強調した。
平和教育の在り方について玉城氏は、「戦禍だけを強調するのではなく、時代とともに価値観が変わったり誤ったりすることがある人間のリアリズムを見詰めるべきだ」と訴えた。
大会に先立ち、日の丸パレードが宜野湾市内で行われた。