利権構造が固定化する沖縄

宮城 能彦沖縄大学教授 宮城 能彦

生活直結で選挙を左右

地元マスコミも追及に限界

 島々を歩き、島の歴史や現在の生活について聞いていると、最初は興味深く、次第に深刻に、最後は憂鬱になってくる話になってしまうことが多い。

 それは、島における「利権」の話である。

 多くの島において、首長や議員の選挙はとても活発に行われる。投票率も毎回かなり高い。それは選挙結果が「生活」に直結するからである。

 先日ある島で、自らNPOを立ち上げ、子どもたちの教育や地域起こしの活動をしている人から話を伺った。その人は、数年前まで役場の職員であったが、退職し今のNPOを作った。普通、役場で勤める「公務員」は、安定しているということで人気の職業であり、自ら辞めるということを耳にすることはあまりない。つまり、彼が応援する候補者が村長選挙に落選し、彼は降格人事の対象となったのである。選挙後の役場勤めは「ほとんど地獄だった」と彼は表現していた。

 施設建設のための用地買収に応じないでいたら、役場から直接職員がやって来て、「今、役場で臨時雇用されている君の息子さんが正規雇用になることはない。臨時も来月で辞めてもらう」ということをほのめかしたという話を別の島で聞いたことがある。もうかなり前の話ではあるが、その「息子」、今では役場の正規雇用の職員である。すなわち、その後、彼は土地を手放したのである。

 別の島では、いわゆる「移住者」からこういう話を聞いた。村長選挙のひと月くらい前に、「村営の施設で働かないか」と、突然現職の村長がやって来たという。翌日役場に行ってみると、その話は誰も知らなかったが「村長がそう言うのならそうでしょう」と、あっさりその仕事に就けたというのである。

 このような話は、島に限らず、地方に行けばいくらでも聞くことができる。人口千人にも満たない島々で、すなわち、誰もが顔見知りの島の中で、こういった利権をめぐる駆け引きが行われている。旅人から見れば、みんなが単純に仲良さそうに見えるかもしれないが、実は、複雑な人間関係の社会こそが島社会だと言ってもよい。

 もちろん、島の人や役場職員は「利権」だけで動いているわけではなく、多くの人は真剣に島の生活の向上のことを考えている。しかし、考えつつも縛られてしまうのが島の現実でもある。

 なぜそういうことになるのか。もちろん、それは、島が「補助金」漬けだからだ。しかし、現在の日本において、「補助金」なしで島の生活は成り立たない。よく、都会の人は、地方に補助金をばら撒きすぎると言って批判するが、現在の日本の政治や経済構造の中で、島だけでなく、地方が経済的に自立するのは不可能である。

 島への「補助金」をカットすれば、人は島を出て都会に向かうだろう。都会に大きなスラム街ができて、社会保障制度は維持できず、治安は乱れ、無人島になった国境の島々に対して、たちまち領有権を主張する国が現れるであろう。かつて有人島であった尖閣諸島のように。

 「補助金」が問題なのではない。現在のような、ほぼ固定された一部の住民にだけ配分される「利権」が問題なのである。そして、その構造を変えない限り、「お金をつぎ込めばつぎ込むほど結果的に過疎化が進む」という状況は続いていくことになる。

 先日、長年フィールドワークでお世話になっている地域の方々が、ある団体とそれを指導する立場にある県を相手に裁判を起こした。まだ、詳しいことをここに記すことはできないが、普通に見れば、その組織の運営も会計処理も疑問を持たざるを得ない内容であり、それに異議を申し立てた裁判である。証拠書類も十分に用意されている。

 ところが、新聞社の記者が取材には来たものの記事になることはなかった。

 結局、それが地方紙の限界である。新聞社は島や地方で行われている数々の「利権」の矛盾は具体的に把握しているはずである。しかし、それには平気で「目をつぶる」ことができる。なぜならば、県内という「身内」で起きていることだからである。現在の日本のように、言論の自由と安全が保障されている国家において、「身内」を批判することは、国家を批判するよりはるかに難しい。

 島々の多くの人たちは、今のような「利権社会」のままでは、島に将来はなく、若者が島にとどまり続けることは難しいとわかっている。しかし、「今」の生活を守るためには、とりあえず、今の「利権」になんとかしがみつくしかない。そういった矛盾を抱えながら生きている。

 「わかってはいるけど、目の前の不正義を追及することができない」という意味で、地方の新聞記者も島の人々と同じような思いをしているのであろうか。だとするならば、地方の新聞の存在意義とは何であろうか。利権団体としての「地方」の代弁者。結局は地方の利権の一部の担い手。そう考えてくると、ますます憂鬱になってくる。兎にも角にも、そこから抜け出す糸口を探さなくてはならない。

(みやぎ・よしひこ)