並大抵でない食文化の理解

金子 民雄歴史家 金子 民雄

捕鯨、イルカ漁に説明を

洋の東西、国の東西で違い

 このところおかしなことに、日本の食文化についてふれたニュースが多くなったようだ。たしかにいくら文化人だからといって、日本で生活する日本人が1日3食洋食で済ますということは多くはないであろう。日本食を日本語で書けば「和食」でなにか宥和的であるが、外国人、といってもごく一般的に欧米人にとって、和食は最近まで縁遠い存在だったろう。寿司でもそうだった。

 古い話を蒸し返すようだが、太平洋戦争が終わって間もなく、小学校低学年だった私が、疎開先の東北から東京郊外の自宅に戻って来ると、私の住んでいた町は旧飛行場だったので、占領軍の基地になっていた。当然、見慣れぬ米軍人で町は溢れ返っていた。ただかれらは単純で親切だった。それは別として、20代の米軍の若者たちの関心はやはり女性と食文化のようだった。ただ住民の大半、いわゆる大人は米軍人と接触したがらないから、どうしても小学生が前面に出ざるを得なくなる。相手は何でも訊ねてくるのだが、子供ではとても対応しきれない。学校の先生とか教養人といったところでまるっきりの役立たずで、返答に窮するなんていうものでなかった。特に彼らに興味のあったのは日本の食事だったようで、とりわけ食材に関心があった。

 戦争後の貧しい時代、食べ物などなにもない。だからでもないが、米兵たちが生の野菜をばりばり食べるのを見て、まず仰天した。これでは牛や羊と同じじゃないか。これが文化人なのか。その一方、若い兵士からこんな質問を受けたとき、いくら子供でも狼狽(ろうばい)した。どうやらこんな疑問だったようだ。日本の女性とキスをするとなんとも奇妙な口臭がする、あれはなにかということらしい。身ぶり手ぶりの議論である。大人はみな逃げて寄りつかない。これでは答えようがない。どうやらこれは食べ物が原因らしい。そこで乾物屋に連れて行き、そこに並んだ桶樽を片端から嗅がせてみた。それはどうやら沢庵(たくわん)が原因のようだった。

 ところが、ここでまた新しい問題に突き当たった。なんと店頭に竿に吊した黒い布地のようなものが、ずらりと並んでいたのだ。これは一体なにかという質問である。コンブやワカメの乾物である。子供に回答など無理だ。そこで道路脇に生えている草の葉をちぎって水の中に浮かべ、これは海の植物だとかなんとかやってみるが、まず不可能だった。当時の大学生は学校でも英語の授業をろくにやっていないから、助けにはならない。もうこのときから何十年も後のことだが、外国人が寿司屋に入ってのり巻きを食べるようになっても、この食材の苔を上手に説明できる人にぶつかった例はない。

 日本人の食文化は、どうしても海産物の比重が大きくなる。その中でとくにイルカ漁と捕鯨が、最近批判をあび始めたようだが、これは文化の違い、食文化と歴史的背景を十分説明してこなかった日本側に責任があったろう。

 わが国の食文化になると、われわれは一通りは知っていると思いがちであるが、なかなかそうと限らないようだ。そんな中でいまでも忘れられない思い出がある。それは戦前の私が5歳になった頃、母親に連れられて母の郷里(花巻)に行ったときのこと、このときの体験は大きなものだった。それは納豆との出会いだった。

 当時、各農家は馬を飼っていて、毎日、大量の大豆を大鍋で煮ていた。その中から家庭の主婦は適当な量を取り出して、藁(わら)で編んだ筒の中に入れて、庭の地中に埋める。どの位埋めておくか忘れたが、これを掘り出すと藁の中で納豆ができていた。子供でも豆が腐ってできたと思ったが、まさかこれを食べるのだとは子供ながら仰天した。納豆というのは、豆を腐らせて作るのだと後に説明を受けたが、この頃は、馬が藁に入った大豆に尿をかけ、そこから出来たものとばかり確信していた。

 納豆は嫌いでなくよく食べたが、こんなことから納豆の文化について妙な関心の糸はなかなか切れなかった。納豆文化はなにも日本だけでなく、北ミャンマーの山地民族もたしか作って食べていた。日本の場合、納豆をよく食べたのは戦後もせいぜい関東止まりで、そこから先の西方にはさっぱり広まらず、ごく最近まで関西では食べる人はいなかったようだ。なぜか理由はよく分からないが、多分、味と臭いと見かけだったろう。

 この納豆との出会いと同時期、いま一つ私にとって強い印象があった。それは花巻の温泉に連れていかれたとき、その入り口で中年の夫婦が轆轤(ろくろ)を回して、こけし人形を挽(ひ)いている姿だった。このこけし作りほど子供ながら思い出深いものはなかった。ところがなぜか、こけしと納豆は東北文化を代表するものだが、関東から西ではさっぱり関心は持たれなかった。日本人ですらこうである。まして外国人の日本文化の理解は並大抵ではないであろう。

(かねこ・たみお)