大改善を要する教科書採択
役割無自覚な教育委員
基本法順守の度合い調べよ
平成18年教育基本法が全面改正された。平成20年にはそれを受けて学習指導要領も改訂された。その下に制作され平成24年度より使用される中学校の教科書は大幅に改善されるものと思われた。特に歴史・公民教科書は教育基本法改正の意図をまともに受ける教科書であるから、改善は大いに期待された。
しかし平成24年以来中学生に届けられているほとんどの歴史・公民教科書は、教育基本法改正をまったく無視したものだった。もちろん、このとき制作されていた歴史・公民教科書には改正教育基本法を順守した教科書もあった。新しい歴史教科書をつくる会が執筆編集した自由社の教科書はその最たるものであったし、育鵬社の教科書もそれに準じて改正教育基本法を順守していた。
しかし、採択の段階でこれらの教科書はほとんど採択されることなく、子供たちに届けられたほとんどの教科書は旧態依然のもので、改正教育基本法は無視されていた。
教科書の採択権を有する教育委員会の採択にいかに問題があったか。新教育基本法の下で平成23年に採択を行った東京都練馬区のある教育委員は、学習指導要領に準拠したものかどうかを調べた上で採択をしてほしいという区民の請願に対して、「文部科学省のほうで審査した検定教科書ということであるので、…その内容が書かれてしかるべきかどうかというようなことを、精査するというのはできないことだというふうに考える」と答えている。
この教育委員は、制作、検定、採択の3段階にわたる教科書制度のうち、採択の役割をまったく理解していない。昭和23年に始まった検定を中心とする現行の教科書制度、そして昭和38年から始まった現行の義務教育諸学校の教科書採択制度にあって、これだけ年月を経ながら、なおかつ教科書問題がこれだけ社会で問題になっていながら、教育に対してそれなりの識見を有しているはずの教育委員がこのような発言をするとは、驚天動地である。教育委員会の教育委員はそれほど識見がなく、教科書を改善しようという国民の熱い思いをよそに、それほど惰眠をむさぼっていたのか。
検定は、教科書会社によって制作された教科書が合格の範囲内にあるかどうかを査定するものであって、合格の範囲内にあれば、いかに偏っていても合格としなければならない。新教育基本法に照らしていえば、新教育基本法の範囲内でいかに偏っていても、その範囲内にあれば、合格としなければならない。合法の範囲内にあるということでは合法であるが、実質的には新教育基本法の中核から外れているのだから、明らかに脱法であり事実上の違法である。
よって、採択の段階で新教育基本法順守の度合いを改めて調べるということは当然ありうることであり、新教育基本法を順守するという観点からは、むしろ義務というべきである。東京都練馬区の区民の学習指導要領に準拠しているかどうかを調べてほしいとの請願は、理にかなった請願である。
もちろん、教育委員会によっては、新教育基本法からできるだけ脱法した教科書を採択したいとして、そのような教科書を査定して採択してもよい。それもかろうじて合法である。
しかし平成18年の教育基本法の全面改正にあたって、教育基本法改正を要望する決議を議会で行った都道府県、市町村の教育委員会は、議会や住民に対して新教育基本法を順守した教科書を採択する責任と義務を負っている。今後も議会で、教育基本法を順守した教科書を採択するよう、議会で決議を行った都道府県、市町村の教育委員会はその責任と義務を負う。
もともと都道府県や市町村の教育委員会は、どのような教科書を望んでいるのかという採択したい教科書について、事前に明示する責任を負っていた。その責任を全うしていなかったのだ。そしてどのような教科書を欲するか、そのことが明らかとなったら、そのことが判明する評価の方法を準備しておく責任があった。それをこれまでいっさいせず、今なお上記の東京都練馬区の教育委員のような発言をするのは許されない。
採択権者が、教科書採択の役割を自覚し、教育基本法を守ることを意識し、そのための適切なる判断と行動を行っていたら、積年の課題である教科書改善問題はとっくに解決していたのではないだろうか。
最後に一言付言しておく。教育基本法は新旧ともに普遍的な教育を目指したものであるから、その間に変動はない。しかし旧教育基本法にあって字句の上で直接明記のないことをもってあたかも無視してよいかのように解される向きもあったことを反省し、新教育基本法は明記すべきものを明記して普遍的教育の在り方を明らかにしたものであるから、新たに明記された愛国心や公共の精神については、明確に踏まえたものでなければ、新教育基本法を順守したことにはならない。
(すぎはら・せいしろう)