ヤギも担う北朝鮮食料事情
見かけない「豊作」報道
増える遊園地や娯楽施設
長年にわたり北朝鮮の農業問題や国民生活の状況を研究・分析しているが、最近の北朝鮮のマスコミが報じる内容は、慢性化した陳腐な変わり映えの無いものが多い。とかく「暗くて、気持ちわるくて、怖い国」と言われている北朝鮮ではあるが、それでも「明るくて、思わず笑みがこぼれる微笑ましい報道もあるはずだが」と思うのだが、なかなかそのような報道にはお目にかかれない。
以前ならばこの時期になると、北朝鮮からは「今年も豊作」報道が行われ、各地の協同農場では1年間の農業生産を締めくくる、「決算分配」が行われ、各地の決算分配場では「米俵が山のように積まれ、農民たちが豊年を祝い踊り、褒賞としてもらったテレビや寝具、日用雑貨品などを高々と掲げている写真」が配信された。
思わず「本当の写真か。去年のどこかの協同農場の写真ではないのか」と疑い、スクラップしておいた前の年の豊作報道の記事を取り出して見比べたものである。それでも「良かった。これで北朝鮮の人民も来年までは食べることを心配しなくてもいいのだから」と、素直に安堵(あんど)したりもした(実際には食糧の分配は公平に行われていなかったが)。しかし、そのような「今年も豊作」報道は絶えて久しい。
先日、「みんな寂しい…団地ヤギ、雑草完食し任務完了」(読売新聞11月29日)という記事が目に飛び込んだ。「2か月間で5000平方㍍の雑草をほぼ食べ尽くし、住民の心を和ませる『予想外の効果』も生んだ。『もっといて、さびしい』と記された住民の貼り紙も現れた。任務を終えてレンタル業者の元に戻るヤギとの『お別れ会』が、同日午前11時から現地で開かれる。……『雑草食べ尽くしている。もっと草がある場所に移してあげて』などと、ヤギを気遣う声が自治会に寄せられるようになった」という。読み終わって間もなく、北朝鮮のことを思い出し愕然(がくぜん)とした。
日本の読者なら「なんと微笑ましい記事だろう」と、それで終わってしまうかもしれない。が、北朝鮮研究者として北朝鮮の食糧問題を追っている者、中朝国境で中国側から北朝鮮のヤギが川の土手や山肌にへばり付いて草を食べている光景を見たことのある人にとっては、この記事は看過できないであろう。
北朝鮮では「食べる問題」が深刻化してから、様々な「食べられる植物(山菜や雑草)探し」が大々的に行われた。また、朝鮮民族がもっとも食べたい牛肉の代わりとなる肉を生産するために、「草を肉に変える」運動を始めた。動物性たんぱく質を吸収する食事には牛肉は最高であろうが、それに代わる食肉として考えられたのが、雑草など「草を肉に変える」動物、すなわち「ヤギとウサギ」であった。
誰もが牛肉料理を食べたいが、協同農場の畜産となると庶民には手が届かない高嶺の花である。「牛肉食べたし命は惜しし」とは、牛肉食べたさに協同農場から牛を盗んで来て屠殺(とさつ)し、それを食べたことがバレると公開銃殺される謂(いい)である。
ヤギもウサギも草食で生育し、成長すると食肉となり、皮は軍隊などへ納入され防寒服の材料となる。ヤギは乳も出るので栄養不足の北朝鮮の人民(時に妊産婦や子供)には貴重な栄養源でもある。中朝国境沿いに、または北朝鮮の各地にみられるヤギは、日本のヤギと同じく確かに「雑草を食べることが任務」ではあるが、日本のようにどちらかと言えば観賞用というよりは、「お国のために肉と皮と乳を納入する」という重要な任務を負っているのである。
私は中朝国境踏査のおり、凍てつく雪の積もった土手で必死に餌となる雑草を探しているヤギの群れを幾度となく見ている。北朝鮮に長期に滞在していた韓国人の写真集に、ヤギの親子の写真が出てくるが、母ヤギの乳房にカバーがしてある。これは子ヤギに飲まれないようにするためである。
ウサギは学校や職場などで飼っているが、観賞用ではなく、肥育のノルマが課せられており、死亡させると弁償しなければならず、繁殖させると表彰される。
北朝鮮が自慢して報道する「今年も豊作」などに代わって最近では、「遊園地や娯楽施設の建設」現場で現地指導している姿や、音楽会や公演会などに金正恩が夫人の李雪主を連れて観賞している様子などが盛んに報じられており、人民に「親切さや優しさ」をアピールしている。これで北朝鮮の人民の生活が向上したことを裏付けようとでもしているのだろうが、極めつけの噴飯ものは、金正恩の肝いりで建設が始まった江原道・馬息嶺のスキー場の建設現場で、叱咤激励する金正恩の勇士姿である。
人民のための娯楽施設などと言っているが、年間3カ月分の食糧が不足している状況で、10億㌦が必要といわれる資金を投じてこのような娯楽施設を作る必要があるのか。小手先の人民統治策に人民は満足しているのではなく、ただ恐怖政治のためものが言えないだけなのである。(敬称略)
(みやつか・としお)