公民教科書検定現場の攻防
制定法主義を克服せよ
「立憲君主制」許さぬ審議会
学問上の用語や公権解釈さえも認めず
筆者は、『新しい公民教科書』(自由社)の作成に関わり、平成22年度中学校教科書検定過程にも立ち会った。今年6月、『公民教科書検定の攻防――教科書調査官と執筆者との対決』(自由社)という本を出版し、教科書調査官と我々執筆者とのやり取りを克明に追いかけた。この本を世に送り出してから、三点のことを強く想うようになった。
一は、教科書検定という名前の下に検閲が堂々と行われている点だ。拙著で展開したように、検定過程では、学問上確立した用語さえも排除された。例えば、自由権をもつ個人を意味する「私人」という言葉は、中学生には難しいから使うなと言われた。また、統治に従う立場の国民を意味する「臣民」という言葉や、それぞれの国家が維持してきた伝統的な政治文化を意味する「国体」という言葉も禁止された。「臣民」は大日本帝国憲法で使われていた言葉だから使うなと言われ、「国体」は「万世一系の天皇を君主とする政治体制」と結びつくから使うなと言われた。
更には、公権解釈に基づく記述さえも削除させられた。例えば、「日本国憲法」を審議した帝国議会では、昭和21(1946)年6月26日、金森徳次郎国務大臣は、「この憲法の改正案を起案致しまする基礎の考え方は、主権は天皇を含みたる国民全体に在りと云うことでございます」と述べていた。しかし、この金森発言を根拠に我々が展開した天皇国民共同主権説は削除された。学問上確立した言葉だけではなく、公権解釈さえも排除されるのが検定という場なのである。
教科用図書検定調査審議会の天皇制に対する忌避感
二は、教科用図書検定調査審議会全体の天皇制に対する忌避感のことだ。不可思議なことに、天皇が君主である、日本が君主国であるという表現はすべて消されてしまった。古代から近世までの日本について記したところでも、君主国、君主と書くことを調査官は許さなかった。また、公権解釈を根拠に記した「立憲君主制」という言葉も、結局削除されてしまった。
調査官自身は、我々との議論を通じて、一定の脈絡の中ならば「立憲君主制」という言葉を使ってもよいという所まで理解してくれた。そこで、執筆者側は、「立憲主義が支える日本国憲法の原則」という小見出しの下、《その第1に、天皇が政治権力をもたない象徴天皇の原則にのっとっています。憲法に規定する天皇は、象徴であり、政治権力はもちませんが、政府は、天皇を象徴とするわが国を立憲君主制の国とみることができるとしています。(傍線部は引用者)》という文章を作って、調査官に示した。
しかし、最終的には傍線部全体の削除を求められた。削除の理由は、調査官によれば、「立憲君主制という言葉をわが国の政体について使うというのは、これまでも許容していなかったところでございますんで、少なくともこれは厳しい、これがこのまま残っている限りは。極めて厳しい、あの恐らく審議会の判断になると思います。それはこれまでの踏襲の延長線上になります」ということだった。
要するに、審議会全体の意向として、立憲君主制は許さないという一貫した方針があるというのだ。その方針に基づき、公権解釈である立憲君主制論を否定しているのである。国家が行なう検定が公権解釈を否定するとは何とも出鱈目極まる事態だと言ってよいだろう。
過重な制定法主義を克服せよ
三は、調査官が過重な制定法主義の立場をとっていた点だ。教科書調査官は、過重なまでの制定法主義(議会などが制定した法だけを重要な法源とする立場)から、法というものを確定又は解釈していた。例えば、立憲君主制や天皇君主論を否定する時に、調査官は、どの条文に君主と書いているかと述べた。これにはびっくりした。そもそも「天皇」という言葉の中に君主性が込められているし、諸外国の条文でも「王(King)は君主(monarch)である」といった条文は存在しないからである。
この過重な制定法主義は、現在の憲法学者や教員、更には安倍内閣をも捉えている。制定法主義から、歴代内閣の憲法解釈は、自衛戦力を肯定せず、集団的自衛権の行使を肯定してこなかった。だが、法とは何かということを考える場合には、制定法の文言だけではなく、普遍的な法理(自然法あるいは条理)、歴史や伝統・慣習という二点も考慮しなければならない。
普遍的な法理と日本の歴史・伝統からすれば、独立国家日本には個別的・集団的自衛権が存在するし、「戦力」=軍隊が必要である。一刻も早く、自衛戦力肯定説と集団的自衛権肯定説に第9条解釈を転換しなければ、日本の安全は保てないだろう。筆者は、9条解釈の転換を阻んでいる過重な制定法主義が日本を滅ぼしていくのではないかと思っている。
(こやま・つねみ)