教育制度の抜本的な改革を

大藏 雄之助
評論家 大藏 雄之助

臨時教員の増加は問題

まず6・3制の改正を急げ

 小泉内閣で三位一体改革が大議論になったのは、まだ一昔前にもならないが、ほとんどの人の記憶から消えてしまっている。要するに小泉首相は小さな政府を指向して、国庫補助負担金の廃止・縮減、税・財源の地方移譲、地方交付税の一体的な見直し、を提起した。これは中央省庁の権限縮小に直結するから、陰での官僚の抵抗によって、郵政の民営化以外は大部分骨抜きになった。その中で最大のあおりを受けたのが教育費かもしれない。

 公立小中学校教員約70万人の給与は本来都道府県の予算であるが、かつてはその半分を国庫で負担していた。それが平成18年から国庫負担が3分の1に減額されることになり、しかもそれが都道府県段階で一般財源化される形で市町村に配分された。そのために貧窮の地方自治体ではその金額を他の目的に流用して、正規の教員の代わりに非常勤の職員を雇用する例がふえている。これでは全国的に学力を向上させることは困難である。

 その上に地域によっては終身雇用保障の正規教員を採用すると、今後さらに少子化が進んだ場合、余剰人員を抱えることになる恐れがあるとして、1年ごとに契約を更新する臨時教員で定員を満たしており、その割合が6分の1に達している例がある。臨時教員は採用決定から現場配置までの訓練講習期間が著しく短い。さらに次の年に解雇されるかもしれないから落ち着いて教務に専心することも難しい。担任の先生の身分については児童は関知しないが、指導力に漠然と不満を感じている。

 一方で不必要な自由化を認めている。例えば、一部の小中学校で採用している2学期制がある。学期の区切りや夏休みの日数などは、学校長と保護者(PTA)が合意すれば、変更することが可能である。日本の学校は始業式・終業式、運動会、学芸会・文化祭、修学旅行など外国にはない行事が多く、その上にリハーサルや準備に時間を取られるから、2学期制は授業時間を捻出するための苦肉の策であろう。だが、学期末の休みが10月にあったりして、隣接校との対抗試合に障害を生じている。

 また、今度東京都は、小中高一貫の4・4・4制の学校を新設すると発表しており、すでに6・3を2・3・4に区切ったり、小中を統合して校長を1人にしたりしているが、文科省としてはこのような新たな矛盾を引き起こす前に、まず6・3制の抜本的改正を急ぐべきではないのか。

 その際に高校を義務教育に準じて扱うことを考慮すべきであろう。高校進学率は100%に近くなっているが、保護者の意向を先取りして普通科をふやしている。普通科はさらに上級の専門教育を前提としている。しかし、同一年齢の半分以上が大学教育に値する学力を備えているとは思えない。これがドロップアウトを増加させている可能性もある。座学になじまない子供のためにも、商業・工業・農業・漁業等の職業教育を強化すべきである。

 高校課程までを射程に入れると歴史教科の配分にメリットがある。先進諸国では小学校で神話を含む古代史を教え、中学校では主として国内を中心に英雄豪傑が活躍する中世を扱い、諸外国との交流が盛んになり、それと同時に国家間の利害関係の衝突、戦争などが頻発し、国内でも貧困の格差や公害といった複雑な問題に直面する近現代史は高校レベルで学習する。これは極めて合理的な仕組みであり、日本も取り入れる方がよい。

 最近、経済協力開発機構(OECD)の成人学力調査で日本が一位だという発表があった。ただし、対象年齢の大部分が、初等中等教育が最も充実していた、ゆとり教育以前のおとなだったとのことで、ゆとり世代ではかなり順位が下がるだろうという解説がついていた。「そうはさせじ」と文科省は土曜授業の復活も目論んでいるらしい。だが、土曜休日は世界中で定着している。わが国でも土曜日は、所期の目的通り、通常の勉強以外の活動にあてるべきではないか。

 次に、全国学力テストの結果について、学校別の成績の発表を禁止していたが、文科省が区市町村教育委員会の判断にまかせることを検討しているとのことである。

 当然のことだ。諸外国はみな公表している。スポーツ競技で学校間の競争があるのに、学力だけはなぜ秘密にする必要があるのか。校区環境によって格差があることは誰でも知っている。その学力差を克服するためにも、学校ごとの成績を公にして是正努力をしなければならない。

 もう一つ。自民党の教育再生実行本部は今回5歳入学の提言を見送ることにしたと報じられている。私は、東大の9月入学が実現し、それに合わせて多くの大学の入学試験が7~8月に行われるようになれば、小学校はその機会に選択制五歳入学にするのが好ましいと考えるが、それは大学改革を論じる折に述べることにしたい。

(おおくら・ゆうのすけ)