国際法破りの中国、日本もモンスターを育てた

yamada

 南シナ海に関する中国の主張を否定した国際仲裁裁判所の判決から半月、中国は強引な外交工作と軍事的示威で、断固拒否姿勢を貫いている。1989年の天安門事件の武力鎮圧に反対して失脚した趙紫陽・元総書記の極秘回想録の表現を借りれば、「法も天も恐れない党」の本領発揮だ。

 中国のモンスター化。それを外から最も助長したのは日本だろう。対中迎合、無批判、特別扱いが、中国の腕力と傲慢さの増大を助けた。中国は、従順だった日本が「国際法を護れ」の旗振り役に変化したので、よけいいら立っているようだ。

 その観点から、日本のこれまでの対中外交の問題点を並べてみる。各項目の後のかっこ内は私の評価で、モンスター化に資した度合いを×の数で表した。

 第1の問題はODA(政府開発援助)。中国が「軍事支出、大量破壊兵器の開発に注意する」などのODA大綱の原則に沿わなくても、戦時賠償の代替と考えて感謝せず国民に知らせなくても、2000年代半ばには十分経済大国となっても、反日暴動を繰り返しても、計320億㌦以上を黙々と援助した。懸案解決の戦略カードとしても、余り役立てなかった。(×3)

 第2は、領土や主権に関する弱腰。中国が92年の領海法で、尖閣諸島を中国領と明記した時、02年、瀋陽の日本総領事館に駆け込んだ脱北者家族らを中国武装警察が連行した時、05年、東シナ海の日中中間線付近で勝手にガス田開発を進める中国に、日本も対抗措置を取り掛けてやめた時、10年に中国漁船が海上保安庁巡視船に体当たりした時など。日本は事なかれ主義対応の連続だった。(×3)

 第3は、中国の人権問題などへの鈍い反応。天安門事件後、日本は「中国を孤立させるな」と、早々に制裁を解除し、中国の強い要請に応え、天皇陛下の初の中国ご訪問も実現させた。当時の中国外相が回想録で、「西側の制裁を打破する最良の突破口となった」と記した。その後も、この面で日本は無口だった。(×)

 第4。中国の軍備増強への対応。89年から21年連続で軍事費を2ケタ伸ばし、核兵器をなお増強中という国に、強い懸念を伝えただろうか。95~96年の中国の地下核実験への抗議も弱かった。広島平和宣言でも、核保有国として中国に言及したのは、60年代以来3回だけ。現在も「戦争法反対」陣営は、中国の軍事的脅威を直視しない。(×)

 第5。対反日。暴動が繰り返され、謝罪や損害賠償がごくわずかでも、反日教育が強化されても、抗日記念館の展示が事実と異なっても、手をこまねいてきた。(×)

 第6。追随外交。09年、民主党政権が強引に実現させた、天皇陛下と習近平・国家副主席(当時)の特例会見。昔の朝貢関係をしのばせる、民主党や自民党の大デレゲーションの北京詣で。08年の北京五輪の前、人権やチベット問題で国際非難が盛り上がる中、中国の依頼で結成された、225人もの「北京オリンピックを支援する議員の会」。古くは78年、日本は中国の弟分、カンボジアのポル・ポト虐殺政権と、完全な大使級外交関係をいち早く結び、同政権崩壊後の外交戦で、中国・ポル・ポト陣営を支えた。(×2)

 日本は贖罪意識もあり、政府も、政治家、メディア、企業も迎合的気配りをしてきた。それで習近平・国家主席が多少笑っても、真の関係改善ではない。迎合を排し、主張すべきを主張してこそ、真の友好が可能だ。これまでの多くの問題点を改めて分析し、反省すべきだと思われる。

(元嘉悦大学教授)