プーチン氏4選の露大統領選
有力対抗馬なく当選確実
反政府ブロガーは棄権呼び掛け
18日は、ロシアの大統領選挙の日である。これまでの大統領選や下院選などを振り返りながら、今回の大統領選の見所を考えてみたい。
最初に取り上げたいのは、反政府ブロガーで「反汚職基金」設立者のアレクセイ・ナバリヌイ氏(41)である。氏は動画を使ったブログや動画投稿サイト「ユーチューブ」を活用して若い世代の支持を集めている。その彼が、昨年3月2日、メドベージェフ首相のモスクワ郊外の隠れ豪邸やソチの別荘、国内の黒海沿岸とイタリアのトスカーナのワイン園、超豪華ヨットなど(合計1200億円)を、これらの施設関係の協力者やドローンを飛ばして撮影、ネット上に50分にわたる不正蓄財の実態を公開した(https://www.youtube.com/watch?v=qrwlk7_GF9g)。
このビデオの視聴回数は2640万回を記録した。昨年3月26日、腐敗した首相を糾弾した反汚職デモが100都市で行われ、数十万人が参加、1300人が拘束された。6月12日には200都市でデモが行われ、1500人が拘束され、組織したナバリヌイ氏も3月と6月に拘束されている。
デモといえば、前回の下院議院選挙(2011年12月4日)でも不正があったとして、大規模な反政府抗議行動が、大都市だけでなくロシア全土で断続して繰り返された。特に11年12月24日のモスクワ市内の抗議行動には主催者発表13万人、当局発表3万人の市民が参加した。
反政府行動が高まる中、12年3月4日に大統領選挙が実施された。選挙前、プーチン氏の得票は半数に達せず、上位2人の決選投票にもつれ込むのではないかとの予測もあった。結果は、04年の得票率71%には及ばないものの、63・6%の支持を得た。当選直後、涙を流しながら勝利宣言をしたプーチン氏の映像や写真は記憶に新しい。
直近の下院選挙(16年9月18日)ではこのような抵抗の動きはなく、与党統一ロシアは、比例代表で得票率54%、小選挙区と併せ下院の4分の3を超える議席を獲得した。ただ、投票率は48%で、ロシアになって最低であった。政治のマンネリと経済の停滞が投票に影響したと言われている。
プーチン大統領は、昨年9月10日の統一地方選挙(16の共和国首長や州知事選)において、メドベージェフ首相の汚職・腐敗に端を発した抗議行動を払いのけるかのように、汚職疑惑の首長を交代させ、精力的に地方遊説を行い、地方選を乗り切った。
プーチン大統領を脅かすナバリヌイ氏は、昨年12月24日夜、候補者の登録を行った。だが、彼は、同年2月に横領罪で執行猶予付き懲役5年の有罪判決を受けている。法によれば、刑事事件の有罪者は、公職選挙に出られない。これを根拠に、中央選挙管理委員会は、翌25日、彼には候補者の資格がないと通知した。
プーチン氏(65)以外の主な立候補者は、共産党公認の農業経営者パーベル・グルジニン氏(57)、自由民主党党主ウラジーミル・ジリノフスキー氏(71)、女性テレビ司会者クセニア・サプチャク氏(36)などである。
サプチャク女史は、プーチン氏が国家保安委員会(KGB)退職後、サンクトペテルブルク市の副市長に登用してくれた恩人かつ上司であったサプチャク元市長の娘である。彼女はマスコミ界で活躍しており、プーチン大統領に辛口のインタビューをしたりしているが、出馬は野党の票を分散させるためとの見方もある。
有力対抗馬が存在せず、プーチン氏が大統領に選出されるのは確実視されている。
大統領府筋は、信任投票として正統性を誇示できる目標(有権者の過半数の支持)として、投票率70%、得票率70%を掲げている。初回大統領選2000年の得票率は53%(投票率63%)、04年は71%(同64%)、返り咲きの12年は64%(同65%)であった。今回ナバリヌイ氏は投票のボイコットを呼び掛けており、野党の得票率は一定数あり、相対的にプーチン氏の得票率を低くする可能性がある。
ただ、反政府抗議行動の対象はメドベージェフ首相である。プーチン大統領の全国的な支持率は、継続して80%に上る。投票日の3月18日はクリミア併合の日であり、愛国心をかき立てるお膳立てもある。
これまでプーチン大統領は、大統領選の直前、首相を更迭して選挙戦に臨んできた。今回は汚職糾弾もあり、メドベージェフ首相を更迭するかと思われたが、それをしていない。ナバリヌイ氏の抗議行動は、報道ほどには痛痒(つうよう)を感じていないのかもしれないし、また弱みを見せないためもあろう。
プーチン式民主主義が、これからさらに6年間続く。彼は「ロシアの国益の守護者として、自分がいなければロシアはやっていけない」と自負しているようだ。
(いぬい・いちう)