沖縄問題の受益圏と受苦圏
当事者性もっと意識を
観念的過ぎるタイムス「視点」
私は個人的には普天間基地の名護市辺野古への移転は反対である。そう書くと多くの人たちは驚くのだろうか。しかし、多くの沖縄県民は同じ心情だと思う。例えば、先日の名護市長選挙で渡具知氏を支持した人たちも同じである。その沖縄県民の「心情」を理解しようとしない限り、沖縄問題は理解できない。
ただし、翁長知事を筆頭とするいわゆる「オール沖縄」が主張するような、あらゆる手段を用いても辺野古への新基地建設を阻止するとまでは、ほとんどの沖縄県民は考えていない。なぜなら、沖縄に米軍基地があってもなくても、辺野古に新しい基地ができようができまいが県民は「生活」をしなければならないからだ。身も蓋(ふた)もない言い方に聞こえるかもしれないが、それは全ての基本だと私は考えている。それをあえて強調するのは、最近の沖縄に関する言論がますます観念的になっているからだ。
環境社会学の分野で「受益圏」「受苦圏」という考え方が注目されたことがあった。かなり大ざっぱな例を挙げるなら、ごみ焼却場の建設に関して、その利益を受ける地域(人々)と、負の側面(公害など)の影響を被る地域(人々)を明確にすることで、その問題をより具体的に考えようとする方法である。ごみ焼却場から離れた地域の人々は「受益圏」で、近くの地域は「受苦圏」ということになる。
では、沖縄にある米軍基地の「受益圏」と「受苦圏」の範囲はどのように考えればいいのだろうか。
日米安全保障条約によって日本の安全が守られているという現実から考えるのなら「受益圏」は日本全国、全国民だということになる。では「受苦圏」はどこか。
私は米軍基地が集中している沖縄本島中部で育ち、現在も中部で暮らしているが、私たち中部地域の者は、那覇市や沖縄本島南部の人が街頭インタビューで「基地を抱える沖縄県民の苦しみ」などと言うと苦笑してしまう。那覇市にも南部にもほとんど米軍基地がないので、普段、基地を意識することはなく、米兵やYナンバーの車を見ることもほとんどないからだ。
また、私は「基地を抱える沖縄県民の苦しみ」と語る人がいると、「あなた自身は具体的にどのような被害を受けているのですか」と聞くことがある。もちろん、そういうやりとりは慎重に行わなければならない。「直接の被害者でなければ批判してはならない」となってしまう危険性があるからだ。それでは、殺人も強盗も詐欺も汚職も当事者以外は誰も批判できなくなってしまう。
私がこのような危険を冒してまでも、「具体的にどんな被害ですか?」と聞くのは、われわれが社会問題を考える時には「当事者性」をもっと意識しなければならないと思うからだ。
日米同盟によって日本が守られているとはいえ、それでも、愛する郷土に異国の軍隊が駐留することに否定的な感情を抱いてしまうのは仕方がないことだろう。事実、私もそうである。私は何度も繰り返して書いているが、それは感情の問題である。
しかし、「感情」こそ絶対的に尊重されるべきだということにもならない。
米軍基地のない沖縄本島南部に住む人が「基地を抱える沖縄県民の苦しみ」という時、それは「同じ沖縄県民」だというところから来ている感情である。その論理を拡張すれば「基地を抱える日本国民の苦しみ」ということになる。実際に、辺野古や高江で活動している県外出身者の意識は、そこから来ている「善意」なのだろう。
すなわち、「当事者性」を絶えず意識していなければ、米軍基地に関わる「受苦圏」は限りなく観念的に広がっていくのである。それは、沖縄県民までをもネット等でバッシングしている人たちも同様である。
さて、今回の選挙結果が出た翌日の沖縄の新聞の論説については、さまざまなところで言及されているので私の出る幕はないと思ったが、記録という意味でもやはり記しておくことにする。言うまでもなく2月5日の沖縄タイムスの「視点・敗者は日本の民主主義」である。
安倍政権によるバラマキに名護市民が屈したが、それは力と金に民主主義が敗北したという意味である、という論旨。論者が「民主主義」を勘違いしていることは言うまでもないが、私が最も驚いたのは、(市民は)「基地問題からいったん降りることにした。それを責める資格が誰にあるのだろうか」という一文である。これこそ「上から目線」の見本のような文章で、自らに当事者性を問うという視点が全くない。運動についても政治についても、あまりにも観念的である。社説では名護市民が「基地疲れ」していることが敗因だとしていたが、確かにそうだと思う。ただしもう少し正確に言えば、「反対疲れ」「お願い疲れ」である。
実は、名護市民も利害や当事者性という点からは一枚岩ではない。市内の旧町村地域によって複雑に異なるのである。それぞれの地域において当事者性に精いっぱい向き合い、苦渋の決断を下した名護市民に敬意を表したい。もちろんどちらに投票したのかに関係なく、である。
(みやぎ・よしひこ)