安保法制国会の終了に思う

大藏 雄之助評論家 大藏 雄之助

物理的妨害ない英議会

デモに60年安保の熱気なし

 安倍内閣念願の安保体制は新しい段階に入った。世論調査では国民の大多数がまだこれに反対しているという。国会の審議を通じてこの問題の疑問点が十分に解明されたかどうかを、ここで簡単に振り返ってみよう。

 今回の安保関連法案の審議時間は衆参両院とも百時間を超えた。政府が11の関連法案を2本(自衛隊法など10本の法律を改正する平和安全法制整備法案、国際平和支援法案)にまとめたのはそれなりの理由があったが、そのためにわかりにくくなった面もあったし、喧嘩に弱いアベ君を腕っぷしの強いアソウ君が助けるなどのバカバカしいたとえをしたりして、野党の攻撃を誘った。

 そもそも個別自衛権と集団的自衛権の境界や、自衛隊の海外派遣と外国軍隊支援の必要性など、専門家以外には何度説明しても理解できないだろう。景気回復が最大の関心事だった一般市民の目を開かせたのは、衆議院憲法審査会の参考人意見聴取で与党推薦の憲法学者が安保関連法案を違憲と断定したことにあった。これで無関心層までが、「自民党系の学者も本音は反対なのだ」と考えた。いい加減な人選で反対派を勇気づけた自民党筆頭理事の船田元議員の責任は重大であるが、それを追及して「事件」が拡大するのを恐れて自民党はうやむやにしている。

 民主党は参議院で過半数を握られている上に、60日ルールによる衆議院での再議決もあるから、あきらめ気味で、質問も精彩を欠いていた。民主党は本来ならば対案を提出して優劣を競うべきであったが、党内の意見が分裂しているために、反対だけに絞った。それでも岡田代表がテレビで「議論は尽くされたと思う」と発言して、枝野幹事長が慌てて修正するという場面もあった。そして最終的に9月27日の会期末で審議未了にする作戦に切り替えた。

 参議院の平和安全法制特別委員会理事会で審議入りを阻止するために民主党は廊下に女性議員らを動員して委員長の入室を妨害した。

 私は1960年代に4年近くロンドンに駐在していたが、イギリスの議会で野党が物理的に議事妨害をする例はなかった。総選挙に負けた以上、民意が政府与党にあるからには野党は言論活動を強化して政府の施策の矛盾を衝き、次の総選挙で政権の奪回を図る。これはアメリカでも、その他の民主主義国でも同様である。

 言論の府がこのような状態になっていることについて、政府が緊急の必要性がないのに安保問題を国会に提出したのが何よりも間違いだと主張した評論家がいたが、これは反対のための問題のすり替えである。そんなことを言えば、議論は際限なく時間をさかのぼっていくだろう。第一、安保問題は安倍政権の選挙公約にも明記されていた。

 引き延ばしのために特別委員会の民主党委員は委員長不信任動議を提出した。その賛成演説について民放のワイドショーで、「鴻池委員長がとても思いやりがあり、立派な人だと話しているのを聞くと、鴻池さんはほんとは自民党の横暴を反省しているのではないか」という意味の会話があった。想像力がないのにも程がある。その弁士は、自分でも浮き上がっていると自認する山本太郎議員である。この無意味な長広舌も、委員会での議案可決の時のプラカードも、参議院での安倍総理問責決議採決の際の喪服に数珠で1人牛歩を続け、投票直前に壇上で大声を張り上げたのも、すべて彼のお寒いパフォーマンスだったが、国会前の群衆には受けたそうだ。

 国会前のデモに関しては、60年安保当時学生だった渡辺昭夫東大名誉教授の談話が9月17日の読売新聞朝刊に掲載されている。「当時は安保改定が何なのかよく分からないまま、研究室単位でデモに加わったが、のちに日本の防衛のために必要だと理解できた」。

 60年安保でデモ隊が国会に突入し、女子学生が死亡したとき、私もその中にいた。主催者発表で33万人、警視庁集計で13万人という規模は、今回の最大規模のデモ動員、主催者発表で12万人、警察側推計で3万3000人とは熱気でも大きな開きがある。大きな集団の中にいてシュプレヒコールを繰り返していると高揚感に包まれる。岸首相は安保改定と引き換えに総辞職したが、そのあとは池田所得倍増内閣で自民党の長期支配が続いた。

 社会党と共産党が反対した政策は日本を繁栄に導いた。今回安倍首相は辞任するどころか、今後3年間で新安保法制の成果がやがてわかると、自信満々である。ジャーナリズムは、戦後70年で最大の変革だと論評しているが、果たしてそうであろうか。私の見解は異なる。

 最大の転機は、敗戦から5年に満たない昭和25年8月10日に占領軍のマッカーサー総司令官の命令による警察予備隊の創設にあった。以来わが国は解釈改憲を続けてきた。今度の安保法制はその線上にある。

(おおくら・ゆうのすけ)