もう1人のアリンスキー信者 直接交流重ねたヒラリー氏
再考 オバマの世界観(14)
米国の政界にはオバマ大統領の他に、極左活動家ソウル・アリンスキー氏から大きな影響を受けた大物政治家がもう1人いる。2016年大統領選の民主党最有力候補ヒラリー・クリントン前国務長官である。
オバマ氏がシカゴでコミュニティー・オーガナイザー(CO)を始めた時、アリンスキー氏は既にこの世にいなかった。だが、ヒラリー氏にはアリンスキー氏と直接的な交流があった。
ヒラリー氏はシカゴ郊外の保守的な家庭で育ち、当初は共和党支持者だった。1964年大統領選では保守主義の旗手バリー・ゴールドウォーター候補の選挙ボランティアを務めたほどだ。だが、次第に左翼傾斜していく。名門女子大ウェルズリー大学(マサチューセッツ州)の4年生の時、ヒラリー氏が卒業論文のテーマに選んだのは、アリンスキー氏の活動だった。
ヒラリー氏は論文を書くため、アリンスキー氏に2回インタビューしている。また、同氏をウェルズリー大へ講演に呼ぶなど、親交を深めた。
アリンスキー氏はヒラリー氏にCOとしての才覚を見いだしたのか、卒業後、自分が設立した組織に就職することを勧めた。だが、ヒラリー氏はエール大学ロースクールに進学する道を選んだ。
「私たちには根本的な相違があった」
ヒラリー氏は2003年に出版した自叙伝「リビング・ヒストリー」で、アリンスキー氏の草の根活動を評価しながらも、社会システムは外部からのみ変えられるとの主張に同意できなかったと書いている。同氏の誘いを断り、ロースクール進学を決断したことは、「内側からシステムを変えられるという私の信念の表現だった」という。
自叙伝はヒラリー氏がロースクール進学の時点で、アリンスキー氏と決別した印象を読者に与える。だが、ニュースサイト「ワシントン・フリー・ビーコン」は昨年、ヒラリー氏がロースクール時代の1971年にアリンスキー氏に送った書簡を発掘し、2人の交流は続いていたことが明らかになっている。
ヒラリー氏は書簡で、アリンスキー氏の新著「過激派のルール」が出版される日を待ち望んでいることを伝えるなど、同氏の思想に傾倒していたことがうかがえる。
ヒラリー氏は当時、カリフォルニア州オークランドの法律事務所でインターンをしていたが、書簡では機会があれば「ぜひお会いしたい」と書いている。これに対し、アリンスキー氏の秘書はサンフランシスコで会えるかもしれないと返信。実際に2人が再会したかどうかは不明だが、親しい関係を維持していたことは間違いない。
自叙伝でヒラリー氏がアリンスキー氏と縁を切ったかのように書いたのは、当時上院議員で大統領選出馬も視野に入れていたヒラリー氏にとって、極左活動家との関係は政治的にマイナスと判断したからだろう。オバマ氏の自叙伝もアリンスキー氏について一切触れていない。
ヒラリー氏は現在、民主党穏健派に属し、過激な左翼思想は放棄したかのように思われることが多い。だが、保守派評論家のスタンリー・カーツ氏は、過激な本性を隠し、段階的、現実的に目標を達成することがアリンスキー氏の説く戦術であり、「ヒラリー氏は(アリンスキー氏への)信仰を失っていない」と断言する。
ヒラリー氏が大統領になった場合、夫ビル・クリントン元大統領のように中道路線を取る可能性もある。だが、もしカーツ氏の指摘が正しければ、米国最高権力者の座はアリンスキー氏の弟子から弟子へ引き継がれることになる。
(ワシントン・早川俊行)