ドブルイニン回想録を読む
米ソ舞台裏の一級資料
冷戦時代の元駐米ソ連大使
アナトーリー・F・ドブルイニン。知る人ぞ知る、フルシチョフ時代の1962年からブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、そしてゴルバチョフ政権の86年まで24年間も、駐米ソ連大使を務めた人物である。71年にソ連共産党中央委員に選ばれ、大使退官後には約2年間、党中央委書記兼党国際部長の重責を担った。その後、ソ連最高会議幹部会議長とゴルバチョフ大統領の顧問を歴任。2010年4月、90歳5カ月で亡くなった。
ドブルイニンは6人の米国大統領、つまりケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガンの各政権下で駐米大使の任務を果たした。トルーマン、アイゼンハワーやブッシュとも言葉を交わしている。そして、D・ラスク、W・ロジャーズ、H・キッシンジャー、C・バンス、E・マスキー、Z・ブレジンスキー、A・ヘイグ、G・シュルツ、B・スコウクロフトといった歴代米国務長官や国家安全保障担当補佐官らとも頻繁に接触した。ソ連きっての米国通であったと言って差し支えない。
彼は生前、数多くのインタビューに応じ、外交問題の論文も少なくないが、分厚い回想録を残した。まず英語で「In Confidence:6人の冷戦時代の米大統領と対峙したモスクワの大使」というタイトルの著書を95年にワシントン大学プレスから出版。翌96年ロシア語の「特別の信任で:6人の米大統領のもとでワシントンの大使(1962~1986年)」を1万部、モスクワで上梓(じょうし)した。双方の記述には共通する部分もあるが、異なる個所もある。英文書は巻末の人名索引を除いても643㌻という大部。露文書もほぼ同じ文量の大作だ。
どのページも非常に興味深く、冷戦や米ソ関係の研究には欠かせない第一級の貴重な資料と思われる。通読して感じたのは、米ソ・イデオロギー戦争にあって、母国の利益のために奮闘努力した記録ではあるが、米政府の対ソ政策や高官の人物像に関して比較的公平に記述している点だ。また、外部ではうかがい知れなかったクレムリン指導部、党中央委政治局(最高政策決定機関)内部の雰囲気を、率直に記述している。
ドブルイニン回想録によれば、ドブルイニンがワシントンに赴任する前、フルシチョフとJ・ケネディの間には個人的な意見交換が極秘裏に行われており、その仲介の「秘密チャンネル」ができていた。タス通信ワシントン支局長でソ連軍事情報将校のゲオルギー・ボルシャコフとロバート・ケネディ(あるいは大統領報道官ピエール・サリンジャー)のチャンネルであった。ボルシャコフは、ドブルイニンの前任大使ミハイル・メンシコフをさしおいて、つまり、外相グロムイコや外務本省あてではなく、大使館付き武官を通じて情報を国防相に伝え、さらにフルシチョフに上げたことから、グロムイコの不興を買ったという。
ドブルイニンが新大使になったことで、米ソ間に「秘密チャンネル」がさらにもう一つできた。ドブルイニンとR・ケネディのチャンネルだ。キューバ危機後、ボルシャコフとR・ケネディのチャンネルの存在が米国記者によってすっぱ抜かれ、このため、ボルシャコフは本国召還となって、以後はドブルイニンが唯一、この「秘密チャンネル」を活用することになった。ドブルイニンのチャンネル相手は、ニクソン政権ではキッシンジャー、レーガン政権ではシュルツにつながっていった。ドブルイニンとキッシンジャーの秘密チャンネルは70年代前半の米ソ・デタント(緊張緩和)をもたらした要因の一つであった。
以下は回想録の一部である。
「83年2月15日午後5時、私はシュルツとのいつもの話し合いのため国務省を訪れた。彼からレーガンが今、会いたいと言っていると告げられた。若干戸惑ったが、すぐに了承した。この訪問は完全に秘密にされた。(中略)最初にレーガンは、率直な意見交換のため『官僚』の頭越しに、党書記長と個人的、秘密のチャンネルを作ることが有益だと述べた。従来のように、シュルツとソ連大使を通じてこのチャンネルを活用したいと彼は言った。大統領は(ブレジネフ弔問でモスクワを訪れた)ブッシュとシュルツにアンドロポフが米国と良好な関係を築きたいと言ったことに触れたあと、『大使閣下、私もまた、ソ連との良い関係を望んでいるとアンドロポフに伝えてください。言うまでもなく、積年のすべての問題を解決するほど一生が長くないことを私たちは十分に理解しています。しかし、今取り組み、解決できる問題はあります。多分、ソ連国民は私をクレージーな戦争屋と見なしているでしょう。しかし、私たちの間の戦争を私は望んでいません。なぜなら、戦争は未曾有の惨害をもたらすことを私は知っているからです。私たちは新しいスタートを切るべきです』(中略)この『悪の帝国』代表と顔を突き合わせる最初の彼の試みは明らかに重要な意味を持っていた。レーガンは初めてソ連との交渉を試みたのだ。会談の事実がホワイトハウスによって完全に秘密にされたことは、シュルツによれば、極めて重要なことで、もし大統領と大使との対話開始が公表されれば、ホワイトハウス内外の反対を押し切って国務長官はさらに秘密裏にソ米問題に取り組まざるを得なくなるところだったという」
(なかざわ・たかゆき)