ロシアの世界大国への執念

乾 一宇ロシア研究家 乾 一宇

力には力で対抗」表明
年次教書で戦略核戦力誇示

 オバマ前大統領の世界の警察官をやめるとの表明(2013年)やトランプ大統領の国益を第一に考えるとの姿勢など、米国の後退傾向に乗じ、露中が米に取って代わろうと動いている。

 ロシアは、09年制定の安全保障戦略で、「米国の一極支配化は挫折し、多極化世界が始まった」とし、ロシアは(地域大国を脱し)「世界的大国へ変貌する」と、強いロシア、大国主義へ舵(かじ)を切った。

 この間の事情をオリバー・ストーン米映画監督のプーチン大統領へのインタビューで見てみよう(オリバー・ストーン著、土方奈美訳『オリバー・ストーン オン プーチン』文藝春秋、18年)。

 プーチン氏いわく「あなたはおそらく信じないだろうが、…。1990年代初頭以降、われわれは冷戦は終結したと考えていた。ロシアは民主国家になった。自らの意思で、旧ソ連邦の共和国の独立を支援した。このプロセスを開始したのは、ロシア自身だ」「またロシアは世界のコミュニティの一員となったという自覚から、追加的な防衛措置はもはや不要になったと考えた」「ただ近年はそうした行為のはらむ危険性も当然認識するようになった」「技術面での独立と安全保障を確保する方法を検討し始めたのは、本当にここ数年のことだ」「今、言うまでもなく、十分な検討をして適切な措置をとっている」。

 ストーン氏が言うには、ロシアに亡命したスノーデン氏によれば、アメリカが2007年か08年に日本の通信システムを調べ上げ、日本が同盟国でなくなった事態に備え(そのシステムに)マルウエアを仕込んだ。そうしたことをロシアは認識していたはずだ。07年、06年、05年にはロシアに対する攻撃があったんじゃないか。プーチン氏が答える。「当時はそこに関心を払っていなかった。ロシアの核兵器の工場にすら、アメリカのオブザーバーを常駐させていたぐらいだ」「06年までは(オブザーバーが)いたと思う。正確には記憶していないが。ことほどさようにロシア側はかつてないほど西側を信頼し、オープンだった」「残念ながら、向こうはそれを理解しなかった。ロシアのそうした姿勢を認め、評価しようとはしなかった」。

 それから約10年で、着々とロシアが狙ってきた果実が現実化しつつある。

 トランプ政権は、国家安全保障戦略(17年12月)で、ロシアを中国とともに米国主導の世界秩序に対する「現状変更勢力」と位置付けている。

 これに対抗するように、プーチン大統領は、本年3月1日の年次教書で世界平和を維持するロシアの軍事力は世界の戦略的均衡に寄与しており、開発中の6種類の戦略核兵器を動画を活用し、誇示した。ロシアも「力には力で対抗」することを表明した。

 米ソ冷戦時代、圧倒的なソ連の通常戦力に対抗するため、北大西洋条約機構(NATO)側は核兵器で対抗するとしていた。冷戦後は反対に、通常戦力に劣るロシアは、核兵器に依存する戦略を採っている。クリミア併合時、プーチン氏は核戦力に臨戦態勢を取らせることを検討していたと発言した。この核兵器重視策を年次教書で明らかにし、画像まで使いフロリダを核攻撃するとまで脅したのである。

 このように戦略核戦力を前面に打ち出すロシアの安全保障戦略であるが、軍事力競争となれは資源経済であるロシア、しかもクリミア併合による経済制裁、一歩遅れた科学技術など総合的にロシアには限界がある。

 ロシア制裁法の制定など、トランプ政権は期待していた理解ある米国ではない。英国での二重スパイのロシア元情報部員・娘の神経剤「ノビチョク」による暗殺未遂事件(3月4日)の欧米の反応はこれまでになく厳しいものであった。

 事件の当事国の英国は、神経剤がロシア南部サラトフ州の閉鎖都市シハニの軍秘密研究施設で製造されたなど、ロシアの犯行を裏付ける証拠を米、独、仏首脳に提示、4カ国の対露非難声明を3月15日に発表した。英国を含む29カ国・機関がロシア外交官150人を追放した。ロシアも米外交官60人を含む同様の報復措置を発表した。これほどの大規模な追放措置は例がない。シリア内戦でのシリア軍の化学剤使用に対する米英仏の軍事攻撃が4月14日に行われた。

 今、ロシアは悪者に仕立てられ、インタビュー記事同様、欧米から再度たたかれようとしていると、プーチン大統領は思っていることだろう。

 日本は、欧米のような情報機関が脆弱(ぜいじゃく)なため、英国から機密情報を提供されず、蚊帳の外に置かれた。北朝鮮問題も同じ状況にある。

 独立国家として備えるべき軍事力、情報体制、それに憲法の不備など今の日本のままでは、世界に伍することはできないことを知るべきである。

(いぬい・いちう)