シリア情勢に巧みな露戦略
介入、撤退、抜け目なさ
稚拙だったオバマ米大統領
シリア情勢の推移を見ていると、プーチン露大統領の戦略的行動が功を奏している。
2011年にチュニジアで始まった「アラブの春」は、13年3月、シリアにも波及した。他国の政権転覆を見たアサド政権は、苛酷な弾圧を行い、抗議行動の一部が武力闘争に発展した。
シリアと友好関係にあったロシアは、「アラブの春」の自国への波及の可能性もあり、素早く対応した。
その一例として『ニューズウィーク』(14年4月25日号)誌に、12年1月に武器弾薬35~60㌧を積載したロシア貨物船チャリオットがボスボラス海峡を通過し、シリアのタルトゥス港に停泊、13年6月には防空ミサイルシステムの一部がロシアからシリアに海上輸送され、14年には地中海東部のシリア海域に向かうロシアの艦艇が、ボスボラス海峡で頻繁に目撃された、とある。
反政府武装勢力の行動に加え、イラクで誕生したIS(自称イスラム国)は、シリアへ侵入、一定地域を占拠し一大勢力となった。アサド政権はISやヌスラ戦線(「イラクのアルカイダ」関連組織)、それに反政府勢力の拡大により、統治地域を狭めていった。そのような中、13年8月、武力衝突で化学兵器が使用された、と報じられた。
これを知ったオバマ米大統領は、この行為はレッドラインを踏み越えたものだと表明した。そしてアサド政権の部隊が化学兵器を使用したと認定、8月31日、シリアへの「軍事行動に踏み切るべきだ」と決定し、議会の承認を得て行動すると表明した。
同日プーチン大統領は、誰が使用したかも分からない状況であるのに、一方的にシリア軍による使用と断じたことは愚行だと反論した。米国内及び英国の反対があり、オバマ大統領は議会にも諮れず、なんらの行動も採らなかった。それどころか、かの有名な「米国は世界の警察官ではない」と、9月10日にテレビ演説した。
あやふやなオバマ氏の言動に対して、プーチン大統領は、米国とシリアの調停に乗り出した。つまり化学兵器使用の有無には触れず、アサド政権に化学兵器の廃棄を呑(の)ませ、国連の管理下に置くことを提案、米国はそれに合意した(9月14日)。オバマ氏の顔を立てるとともに、米軍による軍事力行使=アサド政府軍への空爆を防止させた(化学兵器廃棄の作業は、本年1月5日に完了)。
だが翌14年、オバマ大統領はISの勢力拡大を放置できず、ついに米国(次いで有志連合も)はイラク(8月)、シリア(9月)に対し空爆を開始した。だが地上軍の作戦を伴わない空爆の効果は限定的であった。プーチン大統領は、米国などの軍事力行使はイラン政府の同意もなく、また国連安保理決議もない国際法違反だと非難した。
空爆は住民を巻き込むため限定的となり、本腰を入れているのか疑問のある状況を見て、ロシアはアサド政権支援の軍事介入を密かに具体化し始めた。
15年9月、満を持したようにロシアは空爆を開始した。それもシリア政府の要請を受け法的瑕疵のない上、イラン、イラクの領空を通過する、これら両国と連携したものであった(詳しくは1月19日拙稿)。ソ連時代のアフガニスタン進攻以来の外国への軍事力行使で、ウクライナ問題での経済制裁や油価の著しい下落の中、大方が予期しなかった行動だった。それもISを主たる攻撃対象とするという欧米の反対できない名目を掲げていた。
日を追い、シリア政府軍による主として反政府武装勢力に対する攻撃は成功裏に進展していった。
16年2月27日、露米の合意によるシリア内戦における停戦、国連特別代表によるシリア和平協議開催は大きな前進と見られた。
もっとも、従来から欧米や、その支援する反体制派代表の「最高交渉委員会(HNC)」が主張してきたアサド大統領退陣という前提条件は満たされておらず、シリア政府軍の攻勢が明らかな状態での交渉である。
欧州の難民問題は、年初のドイツでの集団婦女暴行事件、パリやベルギーでの連続テロ事件などにより、欧州諸国の難民排斥感情が強まっている中、和平協議最中の3月14日、プーチン大統領のロシア軍撤退命令は、絶妙なタイミングの上、大方の予想を超える行動であった。
ただ、3月20日のフマイミム空軍基地には、まだ23機の戦闘機が見られ、撤退したのは16~20機のようである。停戦の対象外であるISやヌスラ戦線への攻撃継続を明言しているように、現に空爆は続いている。
また、シリア西岸に展開しているロシア海軍地中海作戦連合部隊は、現在10~20隻である。ロシアは、シリアに築いた海・空軍基地は中東での唯一の海外基地で、併合したクリミア同様貴重な権益である。
シリア情勢で、ロシアが大きな影響力を持つ状況が継続している。
(いぬい・いちう)