戦争動員態勢強めるロシア

乾 一宇ロシア研究家 乾 一宇

ウクライナめぐり決意

軍事ドクトリンで記述増加

 昨年末、ロシアはウクライナ情勢などを踏まえ、2020年までを想定した2010年2月制定の軍事ドクトリンを急遽(きゅうきょ)修正し、公表した(2月1日付本欄参照)。

 本稿では、ロシアがウクライナ情勢をどうとらえ、軍事ドクトリンをどのように修正したのかを見てみたい。

 新ドクトリンの見る世界情勢は、国家の価値観や発展モデルをめぐって競争し、政治や経済は複雑化を増し、不安定化している。(米国の覇権追求は挫折、)新たな政治・経済の中心を求めて段階的な再編が進んでいる(9条)。このように従来の世界の多極化を望む段階は終わり、ロシアの機会到来を言外にほのめかしている。

 15条は「現代の軍事紛争の特徴と特質」(全部で10項目)である。最初の項に「軍事力と、政治的、経済的、情報的手段及びその他市民の抗議力の大規模活用という非軍事的手段、特殊部隊の複合的な使用」(新設。傍点筆者)がある。

 昨年2月のキエフでの反政府抗議行動が政府転覆へと繋(つな)がった事象を軍事紛争と言えるかどうかは別にして、ウクライナ問題を反映したものである。10項には、「政治勢力、社会運動に対する外部からの資金援助や操作」(新設)がある。一連のカラー革命には米国をはじめとする外国の関与があることを軍事紛争の特徴としてとりあげている。

 また、8項には「不正規武装組織、民間軍事会社の軍事活動への関与」(新設)がある。ウクライナ東部での親露派武装勢力は不正規武装組織に該当、グルジア紛争時のグルジア政府が雇用したと思われる米国民間軍事会社の活動が念頭にあるのだろう。

 これに関連し、12条「主要な外的軍事的危険性」11項「…外国の民間軍事会社のロシアとその同盟国の国境に隣接する地域における活動、…」、13項「ロシアの隣接国家においてロシアの国益に脅威となる、正統な政府の転覆を含む体制の成立とその政策」が追加されている。昨年2月のヤヌコビッチ政権の暴力による崩壊のロシアの解釈である。

 北大西洋条約機構(NATO)に関しては第12条1項に「NATOの軍事力の増強〔新表現〕、国際法の規範に違反する全世界的な機能の付与、ブロックの一層の拡大を含むNATO加盟国の軍事インフラのロシア国境への接近〔旧と同じ〕」がある。3項には「隣接国へのロシアに対する政治的、軍事的圧力を目的とすることを含む外国軍部隊の展開(増強)」〔旧と同じ〕がある。

 NATOの東方拡大や隣接国へのNATO軍の展開を警戒している条文である。NATOに備えることは、ソ連時代はもちろんロシアになってからも最も重要なことであり、ドクトリンには直接の言及はなくてもNATO対処に満ちている。

 ウクライナ問題では、NATO軍との直接の武力対決には至っていないが、それへの準備を強めている。すなわち、新ドクトリンでは動員態勢の記述を大幅に付加し、総動員ができる動員計画、経済も含めた大規模戦争もできる態勢を盛り込んでいる(40~42条)。また、内的軍事的危険性(13条)で「祖国防衛に関する愛国的伝統の破壊を目的とする青少年への情報的働きかけ」を追加している。

 プーチン大統領は、ウクライナ問題による経済制裁がナチス・ドイツに対するロシアの「大祖国戦争」に類似点があるとし、ロシアは今後拡大する物資の欠乏に耐え抜く用意があることをほのめかしている。その一方で、ドクトリンでは大規模戦争の可能性は低下していると、旧ドクトリンの考えを踏襲している。

 ロシアはNATOとの戦争は望まない。だが、米国や西欧諸国が、ウクライナを自分たちの陣営に力を使用してでも取り込もうとするなら、受けて立つというのだ。ドクトリンの公表で、今回の修正はウクライナ問題でのロシアの決意を内外に明らかにした、とも言える。

 ロシアにとっての軍事的脅威は新旧のドクトリンでほとんど変わりはない。脅威認識はそのままで、一つ下の危険性でNATOの変質ぶりを取り上げている。抑制のきいた修正と解釈できる。

 経済制裁、原油価格の急落、ルーブル下落、ロシアはどこまでを想定していたかは不明だが、昨年12月18日の年末恒例の大統領記者会見で、プーチン大統領はロシア経済が今日の状況から抜け出すには2年はかかるとし、長期化を覚悟していることを表明した。ロシアは、ウクライナに連邦制をとらせ、東部地域を足場として影響力を発揮できることを当面の目標としているやに見られる。

 親ロシア派の1月末のドネツク空港占拠、続く2月の停戦合意後の交通の要衝デバリツェボ奪取はウクライナ政府軍より軍事的に優っていることを示した。ポロシェンコ大統領は、停戦合意に基づく軍の撤退だという。国民は敗北ととるだろう。国民は納得せず、大統領批判に向かうかもしれない。大統領は米国に兵器支援を求めている。だが、オバマ大統領は今のところ自制している。一方、米議会では兵器供与の声が強まっている。

 経済危機に悩む欧州連合(EU)、内外に問題を抱える米国、経済に苦しむウクライナ、ロシアの四次方程式、世界情勢と時間変数は今後どのように作用するであろうか。

(いぬい・いちう)