【社説】ソ連崩壊30年 歴史繰り返す「翼賛体制」


ロシアのプーチン大統領=2021年3月24日、モスクワ(AFP時事)

 ソ連崩壊から30年が過ぎた。自由を求め、国際社会との協調路線を目指したはずのロシアは、プーチン大統領が強権体制を敷く“小さなソ連”となった。野党を排除し、メディアを統制し、形だけの選挙を行い、周辺諸国を武力で威圧する。ソ連が崩壊に至った歴史から何も学んでいないのか。

 欧米協調路線と決別

 かつて共産主義陣営の盟主として米国と世界を二分したソ連は、力と恐怖で人々を支配する共産党一党独裁国家だった。国民を監視し、多くの知識人・科学者・宗教者らを人民の敵として収容所に送った。

 民生品の生産を最低限に抑える一方、リソースの多くを軍事目的に振り向けた。スパイ活動によって西側の技術を入手し、世界を威圧する軍事国家をつくり上げていった。

 しかし、そのようないびつな国家は長続きしない。計画経済の弊害で窮乏する国民生活に、米国との軍拡競争の負担が重くのしかかった。情報を統制し、力と恐怖で国民の不満を押さえ付けていたが、それも次第に限界に達した。自由を求める人々の叫びが高まり、各地で民族問題が噴出した。

 ソ連のゴルバチョフ書記長(後に大統領)はペレストロイカ(立て直し)、グラスノスチ(情報公開)など抜本的改革を進め、信教の自由を認め、反体制派の政治的自由を回復した。共産党一党独裁に終止符を打ち、複数政党制を導入した。新思考外交によって西側との協調を進め、ブッシュ(父)米大統領とのマルタ会談で米ソ冷戦を終結させたのだ。

 その後も改革を進めようとしたが、1991年8月に起きた保守派のクーデター未遂事件で求心力を失い、ロシア共和国のエリツィン大統領らの画策によりソ連は崩壊した。

 ソ連崩壊後の新生ロシアは、確かに自由と民主主義を目指していた。しかし、急激な市場経済化により、政治的にも経済的にも大混乱に陥った。エリツィン氏の後継者となったプーチン氏は、中央集権化による秩序回復を目指した。ある程度までそれは必要だっただろう。

 しかし、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」とするプーチン氏は、欧米協調路線と決別した。ウクライナ南部クリミア半島を併合しただけでなく、同国東部の親露独立派を支援。北大西洋条約機構(NATO)加盟を阻止するため、10万もの軍隊をウクライナ国境に展開している。

 国内ではマスコミ統制を進め、政権を批判するジャーナリストらは次々と暗殺されている。選挙制度を改変し、民主リベラル派を議会から締め出し「翼賛体制」をつくり上げた。さらには憲法を改正し、事実上の終身大統領への道を開いた。武力で周辺国を威圧し、国内では反対派を弾圧し、憲法改正によってかろうじて残っていた民主国家の仕組みさえ葬ったのだ。

 同じ道を歩むプーチン氏

 プーチン氏は、自らがロシアを再興に導いたと考えているようだが、勘違いも甚だしい。

 崩壊したソ連と同じ道を歩もうとしていると、なぜ分からないのか。