政敵を恩赦した露大統領
ソチ五輪控えた配慮か
独がユダヤ系富豪に助け船
ロシア大統領ウラジーミル・プーチンの恩赦によって旧臘(きゅうろう)20日に刑務所から10年ぶりに釈放された元石油大手ユコス社長ミハイル・ホドルコフスキー(50)は即日、ベルリンに飛び、ロシアから21日に駆けつけた両親(父ボリスと母マリナ)や、スイスから来たインナ夫人と双子の息子たち、それに居住する米国から直行して来た長男パーベルなどと再会を果たし、新年を家族水入らずで過ごした。
ドイツ政府からは同国滞在を許可する1年間有効のシェンゲン・ビザ(加盟国国民は国境検査なしで自由移動できるシェンゲン協定に基づく)を発給された。そのあと、3カ月有効のスイス・ビザを取得して1月5日にはスイスに向かい、さらに同8日にイスラエルまで足を延ばすという慌ただしい日々を過ごした。
プーチンは、ホドルコフスキーからの正式な恩赦嘆願書のほかに私信を受け取り、その中で、母親の病気(癌)について書かれていたので、人道的に処理したと説明した。依頼人が嘆願書を大統領に送った事実は弁護士たちも知らなかったらしい。従って、突然の恩赦の知らせも彼らには寝耳に水だったという。
大統領がかつての政敵ホドルコフスキーの釈放に踏み切った背景は何か? まず、ソチ冬季五輪開催を控えて、ロシア、および大統領自身に対する外国からの人権侵害批判を和らげる意図があったと見られている。さらには、経済不振の折、投資環境を改善する必要性に迫られたとの見方もある。また、ソチで6月開催予定のG8(先進8カ国)首脳会議も念頭に置いての判断ともいわれる。
逮捕前のホドルコフスキーは、資産150億㌦といわれるロシア有数の富豪であった。ホドルコフスキーはベルリンでの記者会見で、ドイツ首相アンゲラ・メルケルに感謝の言葉を述べ、「私には政治に関与する計画はない。自分が自由を獲得するのを助けてくれた市民社会、メディアと人びとへの責任を私は理解している。私は今後、ほかの人びとを助けたい。私は鉄格子の向こうに政治犯がいると知る限り、安穏と生きることはできない」と述べた。かつての共同経営者だった元メナテップ社長プラトン・レベジェフ(57)を念頭に置いたと見られている。
レベジェフはホドルコフスキー逮捕の3カ月前の03年7月に逮捕されて、05年に脱税などの罪で懲役9年(のちに8年に減刑)の判決で投獄された。その後ホドルコフスキーと同様、刑が追加され、さらに昨年8月にホドルコフスキーと一緒に2カ月減刑されたが、ホドルコフスキー釈放の時点では極北アルハンゲルスクの刑務所で服役中だった。レベジェフの弁護士によれば、ホドルコフスキーと違い、彼は恩赦懇願書を出すつもりはないと述べていた。
ところが、ロシア最高裁は1月23日、突然レベジェフ釈放を決定し、5月の刑期満了前に自由の身になった。釈放後のホドルコフスキーの言動がクレムリンを刺激しなかったことが、レベジェフに対する最高裁の判断につながったと見られている。ただし、最高裁の8人の判事は2人にかけられた脱税容疑の金額170億ルーブル(5億200万㌦)の返済取り消し要求は却下した。今後この返済問題が決着しない限り、ホドルコフスキーは帰国するつもりはないという。
次に、ホドルコフスキー釈放までのドイツ側の工作にも、触れておかねばならない。「ニューヨーク・タイムズ」紙などの報道によれば、ホドルコフスキーの釈放にはメルケルはじめ、ゲンシャー元外相や社会民主党のシュレーダー前首相、ドイツの実力者で富豪のハンス・ケルバーらドイツの有力者たちの尽力があったといわれる。とりわけ、86歳のゲンシャーはプーチンとの間で、ホドルコフスキー釈放に関する極秘会談を、12年5月に3期目の就任直後のプーチンがドイツ訪問から帰途に就く際にベルリンのテーゲル空港と、その後モスクワで、少なくとも2回もったという。ゲンシャーはメルケルから頼まれて、2年半以上もホドルコフスキー釈放「ミッション」の役割を担い続けた。
クレムリンと密接なドイツ人学者で、ホドルコフスキー釈放のためのゲンシャー・ミッションに携わったアレクサンドル・ラール(シンクタンク「独露フォーラム」所長)は、両国の間の交渉について「ドイツの秘密外交」と形容し、両国間にはまだそうした秘密のチャンネルが存在すると述べた。かつては敵同士であった両国の首脳間の厚い信頼関係が恩赦の朗報をもたらしたのであった。
さて、モスクワの北東1200㌔に位置するフィンランド国境に近い北部カレリア地方のセゲジャ刑務所(矯正隔離施設)で服役していたホドルコフスキーは12月20日の夜中に刑務所所長から恩赦の知らせを受けた。ホドルコフスキーは急いで囚人服のまま車で近くの空港に移動し、ヘリコプターでサンクトペテルブルクに到着。そこから航空士の服を借りて着替え、数時間後にはドイツに向かう小型セスナ機に乗せられた。
この飛行機は、シュレーダーのはからいで、ドイツのエネルギー・コンサルタント会社ベターマン社の社長ウルリヒ・ベターマンがチャーターしたものであった。ベルリンの空港には、ホドルコフスキーを出迎えるゲンシャーとラールの姿があった。
(敬称略)
(なかざわ・たかゆき)