アフガン救出、日本の活動は完全な失敗


 アフガニスタンでガニ政権が自壊し、イスラム主義組織タリバンの支配が復活した。この混乱に際し、脱出を希望する人々を国外に退避させるため、各国は輸送機を首都カブールの国際空港に派遣。8月末の米軍撤収までに、米国の約11万人を筆頭に、英国約1万5000人、独伊がともに約5000人、韓国も400人近くを救出した。

 自衛隊派遣の致命的遅れ

アフガニスタンの邦人らを国外退避させるため、自衛隊員に見送られて出発する航空自衛隊のC130輸送機=8月24日、埼玉県の航空自衛隊入間基地

 これに対し、日本は在留邦人や日本大使館で働く現地職員など500人の救出を目指し、航空自衛隊の輸送機3機に政府専用機、それに300人の隊員を投入した。だが、隣国パキスタンの首都イスラマバードに移送できたのは邦人1人とアフガン人14人のみ。救出活動は完全な失敗だと言わざるを得ない。

 在外邦人救出については、自衛隊法に「在外邦人等輸送」および「在外邦人等保護措置」の規定が整備されている。いずれの規定も現地が安全な状況にあることが派遣の前提で、特に「保護措置」の場合は現地政府の同意や、秩序が維持され戦争状態にないことなど厳しい要件が付されている。今回の任務は「輸送」だったが、米軍が安全をコントロールできる空港内でのみ活動。自衛官が市中に退避希望者を迎えに行き、警護して連れてくることはできなかった。

 自衛隊法の定めについては、現地の「安全」を派遣の前提条件から外すか、基準の緩和を求める声が以前からある。その議論検討は今後も必要だが、今回の失態は自衛隊法の禁欲的な性格よりも、派遣決断時期の致命的な遅れに原因があった。

 政府が自衛隊機派遣を決めた8月23日は、ガニ政権崩壊(15日)から既に1週間以上経過しており、自衛隊機が現地に到着した26日には欧州各国軍は撤退に動き始めていた。同夜の自爆テロで治安はさらに悪化。もし早期の派遣を決断していれば、民間機でも多数の救出は可能であったろう。

 なぜ派遣の決定がこれほど遅れたのか。政府は、大使館員や少数の在留邦人救出は外国軍機や民間機で対応可能と判断。だがその後、米政府から自衛隊機派遣の要請が届き、また24日の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で多くの現地人救出の問題が討議される動きも伝わり、慌てて自衛隊機派遣の調整を始めたからではないか。

 タリバンの攻勢が早まった段階で派遣の検討準備に着手していれば、もっと早く派遣が実現し、日本の救出を待つ多くのアフガンの人々の期待に応えられたはずだ。十分な準備期間も与えず、土壇場になって自衛隊に出動を命じた政府の姿勢は、健全な文民統制と言えず、同盟国支援の気概も感じられない。日本人さえ助け出せば、そして外国軍機に頼ればいいとの意識でいたとすれば、情勢認識や危機管理意識の甘さを示すものだ。

 人道意識の乏しさも問題

 人道意識の乏しさも問題だ。現地に残って在留邦人保護などに最後まで全力を尽くすべき大使館員が、現地職員を残したまま真っ先に英軍機で国外に脱出した。この行動と、他国の様子を見て初めてアフガン人救出を真剣に考え始めた日本政府の動きは、無関係ではあるまい。