俺流の金正恩氏「新年の辞」

宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄

非核化言及も放棄せず
人民は寒さと飢えに苦しむ

宮塚 利雄

宮塚コリア研究所代表 宮塚 利雄

 朝鮮半島の北部地域の冬の寒さは厳しく、大正11(1920)年1月18日には鴨緑江の上流にある中国と北朝鮮の国境都市・中江で氷点下41・6度を記録している。冬季の人民にとっての最大の課題は食糧の確保もさることながら、「寒さ対策」である。この北部地域では古くから「火食い」という言葉が伝わっている。厳冬期を過ごす人民は火食いというほどに、燃料の確保は難しい。

 この文章を読んでいる読者諸兄には理解しづらいと思うが、私の本来の専門は朝鮮半島の「火田民(焼き畑農耕民)」であり、火田民は朝鮮半島の北部地域に多く存在し、粗末な小屋のような家で過ごしていた。私は45年前に韓国の大学院に留学し、韓国で火田民が多かった江原道の山間地域にフィールドワークでよく訪れていたので、この「火食い」を何度も体験している。

 部屋を暖めることがいかに重要で大変なことであるかを実感したものであるが、このような寒さの中、1月1日に平壌の朝鮮労働党庁舎の接見室と見られる部屋で、朝鮮労働党委員長の金正恩は恒例の「新年の辞」を読み上げた。当たり前のことであるが、金正恩はスーツにネクタイ姿でソファに座って「新年の辞」を読み上げたのである。

 このようなスタイルは今までにはなかったことで、祖父の金日成は演説台で延々と読み上げたが、晩年は読み間違えることが多く、会談場の出席者の中から「今回は何回読み間違えた」などと不謹慎なことを言う者もいたという。父の金正日はテレビで放映されて読み間違いを指摘されるのを恐れたのか、「新年の辞」を「労働新聞」など主要三紙に「共同社説」で掲載し、本人が「新年の辞」を自ら語ることはなかった。

 金正恩がソファに巨体を落として読み上げた部屋の壁には本がぎっしり並んでいたが、どれも同じサイズの本であり、日ごろよく見慣れた本類である。昨年、脱北者が出演することで有名なテレビ番組に出た時、脱北した女性たちは私が持参した金文字の本を見て「このような本は私たちには手に入らない」と言っていたことを思い出した。

 さて、肝心の「新年の辞」であるが、発表されてから1カ月が過ぎたのに、何を今さら言及するのか、という御仁も多いだろうが、「新年の辞」は北朝鮮にとっては「回顧と展望」であり、今年1年の活動・政策を予測していく上では必要不可欠な分析である。

 昨年の「新年の辞」では「核のボタンが私の机の上に置かれている」と米国を恐喝したものである。しかし、今年は「朝鮮半島に恒久的な平和体制を構築し、完全な非核化に進もうとすることは、党と政府の不変の立場で、私の確固たる意思だ」と強調し、「これ以上、核兵器を作りも実験もせず、使いも拡散もしない」と述べた。

 画面向こうの国民に語り掛けるように読み上げたが、金正恩が国民に向けて肉声で完全非核化に言及したのも、対外的に核兵器製造中断を表明したのも初めてである。昨年までは「米帝獣野郎」などと米国を罵(ののし)っていたのに、今では平壌市内の壁に赤い文字などで「米帝野郎」などのスローガンから、「米」の文字だけが不自然に消されているのを日本人観光客が見ている。

 北朝鮮の人民の果たしてどれくらいの人が「非核化」が自分たちの生活とどんな関係にあるのか、知っているだろうか。しかし、北朝鮮の人民は金正恩が「新年の辞」で述べたことを、意味が分かろうが分かるまいが職場や学校などの学習会などで「金正恩委員長が、これ以上に、核兵器を作らないとお話しされました」と皆の前で、いかにも自分が「新年の辞」を熟読したかのように話さなければならないのである。

 「新年の辞」から1週間たった1月7日から10日まで中国を訪問した金正恩は、国家主席の習近平に「非核化協議の過程で生じた難関問題」を提起し、習近平は「北朝鮮の立場・主張を理解した」という。だが、アメリカの態度は「非核化進展まで経済制裁を解除せず」で一貫しており、究極的には「北朝鮮は核を絶対放棄しない」というのがアメリカ政府関係者の見解だ。

 米朝融和ムードを歓迎する向きもあるが、非核化の実現が遅れたとき、北朝鮮が最も憂慮しなければならないのは、人道・人権問題を提起され、人権侵害などの実態が明らかにされることである。習近平は自ら北朝鮮の「後見役」を担っていると錯覚しているようであるが、習近平にとって「北朝鮮のおかげで自分の国の人権や人道問題が世界に晒(さら)される」ことは避けたいところである。

 国連によると、北朝鮮は人口の約4割に当たる1000万人以上が人道支援を必要とし、さらに5人に1人の子供が発育不良に陥っている。深刻な食糧不足に陥っている600万人を対象に、約1億1000万ドル(約123億円)規模の支援を行う計画を策定しているが、供出金は約10%しか集まっていない。寒風吹きすさぶ強制収容所での生活を余儀なくされている人々にも関心を持つべきである。

(敬称略)

(みやつか・としお)