どう見る金正恩体制 権力の掌握(上)
どう見る金正恩体制 日韓専門家対談(1)
元公安調査庁調査第二部長 坂井隆氏
元韓国警察庁公安問題研究所研究官 柳東烈氏
北朝鮮の金正恩委員長が父、金正日総書記の死去に伴い単独で最高指導者の地位に就いてから今年末で5年になる。核・ミサイル・拉致などで日本をはじめ周辺諸国の脅威となっている北朝鮮だが、その実態に迫ることは容易ではなく、北朝鮮との関係構築も試行錯誤の連続だ。長年、北朝鮮情報分析の第一線にいた日本と韓国の専門家2人に北朝鮮の現状と今後を忌憚なく話し合ってもらった。(司会=上田勇実・本紙編集委員)
恐怖政治と“戦時醸成” 柳
幹部叩きで人気取り 坂井
まず金正恩氏がどのようにして権力を掌握しつつあるのかについて尋ねたい。

坂井隆(さかい・たかし) 1951年生まれ。東洋大学法学部卒業。77年から韓国・延世大学韓国語学堂に留学。78年、公安調査庁採用。以後、朝鮮関係情報の分析などに従事、公安調査管理官、首席情報分析官、調査第二部長など歴任後、2012年退官。主な著書に『資料北朝鮮研究Ⅰ・政治・思想』(慶應義塾大学出版会、共編)。
坂井 北朝鮮では「首領制」という制度が確立されていて、父親の金正日総書記が死去する前すでに後継者になることが決まっていたので、その制度に乗って金総書記死去後すぐに領導者になった。基本的に何ら問題なく権力を掌握できたのだろう。だから、その後の特定役職への就任は象徴的なもので、実質的意味は大きくないと思う。
ただ、金総書記と比べると足りなかった面もある。特に自分自身の権威。権威付けの実績が何もなかった。また周囲の幹部との個人的関係が弱かった。1994年に金日成主席が死去した時点で金総書記が持っていたものと比べても、正恩氏の場合は後継のための準備期間が非常に短かったということもあって足りなかった。だからこの5年近くの間、これらを一生懸命補強し、ある意味では強引に進めてきた。
柳 正恩氏への後継は2011年10月8日の朝鮮労働党内部の全体会議で「10・8遺訓」と呼ばれるものが伝えられ、公式に認められた。統治者となった正恩氏は恐怖政治を通じて側近らに忠誠を誓わせ、持続的に戦争の雰囲気を醸成し内部を結束させた。これが現在も金正恩政権を維持させている二つの柱だ。

柳東烈(ユ・ドンヨル) 1958年生まれ。京畿大学法政学部卒業。韓国中央大学大学院卒。89年から警察庁公安問題研究所研究官、2005年から警察大学治安政策研究所安保対策室上席研究官。14年退職し、民間団体「自由民主研究院」を設立し現在、院長。著書に『北朝鮮の対南戦略』(統一省統一研究院、2010年)など。
従って幹部たちも住民も正恩氏を心から尊敬して従っているわけではなく保身のため。表面的には安定しているように見えるが、実際には内部に政権の脆弱(ぜいじゃく)性が広がる要因を抱えている。
坂井 恐怖政治は幹部たちに対してはやっているかもしれないが、一般住民には個人的に正恩氏に対し親しみを持たせる努力もしているのではないだろうか。例えば、正恩氏が軍や工場など現地視察した際、大勢の軍人や労働者たちと記念撮影するが、その人数も回数も父親の時よりはるかに多い。一緒に写真に写った人にとってその写真は家宝だ。自分と縁があると思わせる人を意図的にたくさん作る戦略ではないかと思う。
また正恩氏は官僚主義や不正腐敗をかなり批判しており、単純に自分が気に入らないから側近を粛清するというケースもあるかもしれないが、官僚主義や不正腐敗が理由の場合もあると思う。末端の住民から見ると、不正で富を蓄える人間(幹部)が粛清されることに恐怖感ではなくむしろ爽快感を感じ、拍手喝采を送っているのではないだろうか。恐怖と人気取りの両面作戦ではないか。
戦争雰囲気の醸成については、軍を結束させる狙いだろう。ただ、それと同時に軍人たちを建設現場にかなり動員しているのも事実だ。
柳 一般住民も自分たち同士、金正恩氏の悪口を言えばすぐに密告され、最悪の場合は処刑されてしまうという恐怖政治の中に置かれている。恐怖政治で統制が効かない幼い子供の場合は、正恩氏を崇拝させるための政治的洗脳を行っており、これが体制維持に役立っている。
現在、体制を揺るがすような火種はあるか。
柳 住民も幹部も正恩氏に心底忠誠を誓っているわけではないという点と、食料難やエネルギー不足などで経済再建の見通しが立っていない点を挙げたい。90年代のいわゆる「苦難の行軍」でも北の住民は深刻な食糧難を経験したが、まだ本当の意味で限界に達したものではなかった。仮に限界に達したら暴動が起き、その時は恐怖政治も役に立たないだろう。
坂井 今後、体制を不安定化させる可能性の高い要因としては肥満や喫煙、精神的ストレスなどの懸念材料がある正恩氏の健康問題。もう一つは不正腐敗摘発の強化に伴う既得権益層の離反と反発だ。
幹部を叩(たた)いて大衆の人気を取るというのが正恩氏の基本的な戦略だと思うが、実際に体制を支えているのは幹部たちなので摘発などで叩き過ぎると反発して体制が動揺する。しかし、甘やかし過ぎると今度は大衆が不満を持ってこれも不安定化につながる。幹部を叩く加減を誤れば体制が動揺しかねない。そのバランスが難しい。