相違する独仏両国の軍事政策

日本大学名誉教授 小林 宏晨

対サウジ兵器輸出で対立
ジャーナリスト殺害を契機に

小林 宏晨

日本大学名誉教授 小林 宏晨

 公式には独仏両国は両国間の友好条約の記念祭を盛大に祝った。一方、カーテンの裏側では安全保障に関する両国の溝を埋めるために、熾烈(しれつ)なバトルが繰り広げられた。しかしその溝は、いまだに埋められていない。

 カール大帝時代の首都アーヘンでの記念祭で、マクロン仏大統領がドイツ語のロマンティックな魅力を賛美した。これに対し、メルケル独首相は、極めて冷静に両国の文化の相互尊重の必要性について述べた。

 確かにこれまでの欧州連合(EU)の歴史の中でドイツとフランス両国は、EU前進のエンジン役を演じてきた。しかも現在ではEUに対して、右派大衆迎合主義者の台頭、ロシアの破壊戦略、アメリカの制裁圧力、イギリスのEU離脱のカオス等々、多様な困難が発生している。従って現在ほどに独仏両国の相互協力を必要とする時期は存在しないかに思われる。

小事で争いを繰り返す

 それにもかかわらず、両国の代表は小事について終わりなき争いを繰り返している。例えばマクロン大統領が「欧州の将来像」についての講演を行ったが、これに対するドイツ政府の反応はゼロに近い状態であった。他方ドイツが安全保障理事会における常任理事国の地位獲得のためにフランスの支援を望んだが、フランスの反応は極めて冷たいものであった。ことほどさように独仏両国間の第2次世界大戦後の必要な残務処理は遅れている。

 兵器の輸出に関しても、独仏両国は極めて異なった政策を遂行している。フランスにとってサウジアラビアのごとき問題ありと考えられる顧客に対する輸出であっても原則的に国家事由と見なされ、許されている。これに対しドイツの兵器輸出政策には極めて厳しい制限が付されている。従って2国共同開発の成果たる兵器の輸出に際しては、両国の合意を見いだすことは極めて難しく、対立の連続である。

 長期にわたる厳しい交渉の結果は、1972年の「シュミット・デュプレ協定」の再利用に落ち着いた。つまり「一方の当事国は、他方の当事国の共同開発兵器の輸出を拒否しない」。そしてさらに「一方の当事国の直接的国家利益もしくは国家の安全を危険にさらす、例外的ケースにおいてはその限りにあらず」であった。なお当時の両国防大臣は、後に共に首相となった。

 この協定では、ドイツ側が大幅に譲歩し、フランス側に広い行動の自由を付与したものと見なされた。他方「直接的国家利益」の規定は、ドイツ側の拒否権行使のための解釈の余地を残した。両国の共同開発兵器はなかんずく新世代戦車と戦闘機とされた。

 独仏両国間の争いの主題は、両国の共同開発兵器の輸出においてフランスにどの程度の自由が確保されるべきか、ということである。この問題を深刻化させた大事件が発生した。つまりドイツ連邦政府は、サウジアラビアのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の殺害を契機としてサウジアラビアへの兵器の全面的輸出禁止措置を行った。しかも禁止措置の対象には兵器の部品も含まれた。

 これに加えてドイツ側は、さらに全欧州兵器輸出規定の適用までも要求した。フランスは拒否した。マクロン大統領はドイツ側の要求をフランスに対する後見の試みと見なした。またドイツ側は、原則的に軍の出動には、議会の事前承認を必要としているのに対し、フランス側は、短期的考慮からしても、容易に軍を出動させている。

政治文化の違いで軋轢

 あるジャーナリストの問いに対するマクロン大統領の回答が深刻な両国の関係を記述している。「私はドイツの立場を厳密に記憶している。しかしその立場は、私の見解からすれば、残念ながら時代遅れなのだ」

 両国間の政治文化の相違は深刻な軋轢(あつれき)を生ぜしめている。両国の関係は、相互の個別的譲歩の積み重ね以外に考えられないのだろうか。

(こばやし・ひろあき)