英財政を救ったユダヤ大富豪
獨協大学教授 佐藤 唯行
公債市場活用し戦費調達
緒戦で敗れ暴落も買い支える
英金融史上、伝説と化したロスチャイルド財閥の創始者ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド。その70年前、匹敵する力量を示したもう一人のユダヤ大富豪がいた。サムソン・ギデオン(1699~1762)だ。彼ひとりで18世紀中頃、英ユダヤ社会の富の1割を保有したと歴史家E・サミュエルは述べている。
中流のユダヤ商人家庭に生まれ、慎ましい元手で宝クジ販売を始め、儲(もう)けを元手に公債引受業に乗り出した彼は、自力独行型の大富豪だった。全盛期には英国公債の4分の1を引き受け、自身の人脈で売り捌(さば)いたといわれる。南海会社の株価大暴落を引き金とする大恐慌が多くの破産者を出した1720年代。彼と多くのユダヤ投資家は大損を免れたようだ。異邦人として英社会の周縁に身を置く彼らは、投機熱から距離を置く冷静さを備えていたのであろう。
取り付け騒ぎを鎮める
ギデオンは歴代英政権と親密な関係を保ち、政権側も財政上の助言を彼に仰ぎ続けた。きっかけはオーストリア継承戦争(1740~48)だった。英国にとっては植民地市場の争奪と欧州覇権をめぐるフランスとの戦いだった。
この戦争は英国がこれまで経験したことのないグローバル規模のもので、空前の出費を招いたのだ。戦費集めのため英政府は公債発行による長期借り入れに頼らざるを得なかった。
この時、政府財政を支えたのがユダヤの資金力と組織力であった。元締・ギデオンの呼び掛けに参集したユダヤ出資者団は公債発行の諸条件を討議し、自身の人脈から作成した購入予定者リストと消化能力を勘案して、それぞれの責任請負額を決めたのだ。
この戦争では宿敵フランスの差し金で内乱の火種もまかれたのだ。フランスが後押しするステュアート朝復活支持派が王位僭称(せんしょう)者を擁立。現ハノーヴァー朝を倒すべくスコットランドで挙兵し、ロンドンの北200㌔まで進軍してきたのだ。政府軍緒戦で敗退の報は国王を卒倒させた。
英金融市場は恐慌に陥り、銀行では取り付け騒ぎが始まった。ギデオンはこの時も見事に乗り切っている。政府公債の信用を支えるためユダヤ出資団を再組織し170万ポンドもの資金を集め、額面の75%まで暴落した公債を買い支え、金融市場の信用回復に努めたのだ。また英国中央銀行に大量の預金を集めることで取り付け騒ぎを鎮めたのだ。
続く7年戦争(1756~63)はさらに莫大(ばくだい)な戦費を必要とし、政府財政を圧迫した。この時もギデオンは公債発行条件について適切な助言を行い、またユダヤ人仲間と共に出資に応じることで財政危機勃発を未然に防いだのであった。さらにギデオンは民兵集めに必要な報奨金の支払いに身銭を切ることで戦時貢献も果たしているのだ。
ギデオンの人生の最終目標は貴族階級の仲間入りを果たすことであった。この時代、叙爵こそ栄達の証しだったからである。国家への忠勤に励んだ褒美として叙爵を望み、政府にも働き掛けたのだが、願いは叶(かな)わなかった。
生粋のユダヤ教徒が爵位を得るには時代が早過ぎたからだ。ユダヤ教徒のままで栄爵が授与される初の事例は1885年、冒頭に登場したネイサン・メイヤーの孫ナサニエルに対するものであった。ギデオンもキリスト教徒に改宗さえすれば話は早かったのだが、彼にはそのつもりはなかった。このジレンマは英国特有の妥協により解決された。本人の代わりに14歳の息子に準男爵位が授けられたのだ。
男爵に叙せられた息子
キリスト教徒の妻との間にもうけた子供たちは、こうした事態を想定してキリスト教徒として育てられていたのだ。そしてギデオンの死後、息子は晴れて正式な貴族たる男爵に叙せられたのだった。戦時下の財政危機から英国政府財政を救ったユダヤ人ギデオンの功績を、息子への叙爵という形で英国政府は称(たた)えたのであった。
最後にギデオンの歴史的評価だが、公債市場活用による長期的資金調達で英政府財政を救済する手法を切り開いた先駆者であったと評価することができよう。
(さとう・ただゆき)