活動家から政治家へ オルグ戦術を選挙に応用
再考 オバマの世界観(13)
オバマ米大統領は1985年からシカゴでコミュニティー・オーガナイザー(CO)として働き始め、職業訓練センターの誘致や公営住宅のアスベスト撤去などに取り組んだ。このことは自叙伝「私の父からの夢」に詳しく書かれている。だが、一方で、限界も感じていた。
「ミスター・オバマ、物事は何も変わらない。ここからできるだけ早く引っ越せるように、お金を貯めることに専念するわ」。アスベスト撤去運動にオルグした女性住民に言われた冷ややかな言葉を、オバマ氏は自叙伝に記している。
オバマ氏はCOとして3年間従事した後、ハーバード大学ロースクールに進学する。世の中を変えるには「権力」を持つことが必要と考えたからだ。
元シカゴ・トリビューン紙記者デービッド・メンデル氏の著書によると、オバマ氏はハワイ時代からの友人に、COとしての自らの無力さを嘆き、「法律の学位がなければ、物事は成し遂げられない」と打ち明けている。
オバマ氏を指導した先輩COのマイク・クルーグリク氏も「彼は常に権力への道を考えていた」と、ナショナル・レビュー誌に証言している。
世界最高学府ハーバード大のロースクールを修了し、しかも、黒人初の「ハーバード・ロー・レビュー」編集長を務めた経歴は、その後、政治家になる道を切り開き、より大きな権力をオバマ氏にもたらすことになる。
ただ、オバマ氏が信奉するコミュニティー・オーガナイジングの開祖ソウル・アリンスキー氏が唱えたのは、地道なオルグ活動によって米国を漸進的に社会主義化していくことであり、COが政治に関与することには反対だった。
だが、保守派評論家のスタンリー・カーツ氏によると、アリンスキー氏の死後、弟子たちは新たな方向性を打ち出していた。アリンスキー戦術と政治の結合、つまり、同氏が開発したオルグ戦術を選挙に応用し、政治権力を握ることを目指したのである。
オバマ氏がCOにとどまらず、政治家としてのキャリアを積み上げていった背景には、こうした左翼運動の潮流があったわけだ。
オバマ氏は2008年大統領選で、CO時代に学んだ草の根戦略を選挙運動の中心に据えた。「キャンプ・オバマ」と称する選挙運動員養成プログラムを立ち上げ、オバマ氏を支持する多くの若者にアリンスキー流オルグ戦術を叩き込んだ。労組や市民団体の経験豊富なオーガナイザーたちも数多くオバマ陣営に合流した。
オバマ氏が本命と言われたヒラリー・クリントン氏を民主党予備選で打ち破ったのは勢いだけではない。12年大統領選で再選を果たしたのは現職の強みだけではない。強力な草の根選挙運動を展開したことが大きな勝因の一つだ。
左翼思想に基づく社会変革をもたらすため、常により大きな権力を求めてハーバード大ロースクール、弁護士、イリノイ州上院議員、連邦上院議員へと駆け上がったオバマ氏。アリンスキー氏が確立した理論に、自らが持つオーガナイザーとしての天性の才能を融合させ、とうとう米国最高権力者の地位に上り詰めたのである。
08年大統領選で戦った共和党のジョン・マケイン上院議員を形成したのが捕虜となったベトナム戦争を含む軍人時代の経験であるように、オバマ氏の原点はCO時代にある。オバマ氏が大統領選出馬を表明した時、アリンスキー氏の教えを学び、実践したCO時代を「最高の教育」だったと表現したが、これは本心からの言葉だろう。
(ワシントン・早川俊行)